昨日、ミステリで本気で面白いと思ったのは米澤穂信だけだ、などと書いたが、あまり軽率なことは言うべきではない。
確かに、ミステリを読もう、と思って読んだ時、本気で面白いのは僕の場合米澤穂信だった。
ただ、後から考えてみるとミステリを意識せずに読み始めた小説で面白かったのが、そういえばあれもミステリだったか、というのはある。
伊坂幸太郎作品などは、あまりミステリを意識して読んでいなかったが、考えてみると重力ピエロもアヒルと鴨のコインロッカーもミステリだ。
ということで一応訂正をば。
9マイルは遠すぎる
昨日、『米澤穂信と古典部』という米澤穂信へのインタビューや、他の作家との対談の記事を集めて本にしたものを借りていた。
それを今日読んだのだが、その内容がどうも記憶にある。
既読の本だったようだ。
その中で、古典部シリーズのとある短編は、『9マイルは遠すぎる』という海外のミステリを元にしているとあった。
米澤穂信はかなりのミステリマニアで、こういった古典的ミステリのオマージュをやる。
本人は、こういうのを読んで、古典的ミステリとの橋渡しにしてもらえれば、といったことを語っている。
そこで図書館で調べてみると、書庫にあったので借りて読んでみた。
すると、確かにその構成には覚えがあった。
かなり特殊な構成をしているので、一度読んだら忘れない。
古典的な作品、しかも翻訳なので、若干の読みにくさはあったけれど、面白かった。
たった一文に対して、それがどういう状況なのかを論理的に推測していく、という一種の思考のお遊びで話が進む。
しかし、その推測があまりに的確で目を見張る物がある。
そして最後には―
僕は過度なネタバレはしない主義だ。
安楽椅子探偵どころか、手がかりはたった一文という尖った構成である。
これを初めに思いついた作家はすごい。
思ったのは、こういう柔軟なミステリは、日常系ミステリに多い気がするということ。
一般的なミステリは、事件が起こってからそれに対する推理が始まる。
しかし日常の謎を相手にする場合、日常に隠れた謎を発見するところから面白いのだ。
何気なく通り過ぎていたけれど、言われてみれば確かに妙だ…と。
まあ、これは『米澤穂信と古典部』で、米澤穂信と北村薫の対談で言っていたことなのだが。
モルグ街の殺人
ちらっと海外小説の棚を覗くと、聞いたことのある名前を見つけたので、手にとってみた。
『モルグ街の殺人』は、エドガー・アラン・ポーが作り出した歴史上初の推理小説である。
それまでミステリというジャンルは存在しなかった。
推理小説の原型なわけで、興味はあった。
ただ、それほど期待はしていなかった。
ひとえに僕の読者としての能力が低いせいだろうが、時代や文化が変わると途端に読みにくくなる。
それを考えるとこの小説は相当古い。
また、推理小説の原型ということは、それは爬虫類から鳥類に進化する間の始祖鳥みたいな感じで、とても洗練された推理小説にはならないだろうと考えていた。
しかし良い意味で予想を裏切られることになった。
読みにくさはあまりなかった。
さっき読んだ『9マイルは遠すぎる』よりも読みやすかった。
いや、それどころか、物語に没入して楽しむことができた。
また、推理小説としての質が低いかと言うと、そんなこともまったくなかった。
非常に面白いミステリであり、今読んでも面白い。
しかし、江戸川乱歩がその名をエドガー・アラン・ポーから取っていたのは知っていたけれど、作風も似ているとは知らなかった。
エドガー・アラン・ポーは様々なジャンルを書くらしいからこれだけでは判断できないけれど、モルグ街の殺人は暗黒小説と呼べるもので、それは江戸川乱歩が得意としたジャンルだ。
短編集である『モルグ街の殺人』を、モルグ街の殺人ともう1短編読んだが、作品の雰囲気から江戸川乱歩を思い出したほどだ。
ひょっとすると、エドガー・アラン・ポーなら、楽しく読めるかもしれない。
モルグ街の殺人のあとも、何か読んでみてもいい。
歩いた距離:2km