空飛ぶ馬
日常の謎を題材とする小説の、おそらく最初の作品が北村薫の『空飛ぶ馬』だ。
各所で聞いていたのだが、読んだことはなかった。
図書館で北村薫の本が並んでいると、探してみたりはするが、これまでは見つからなかった。
昨日文庫のコーナーを眺めていて見つけた。
空飛ぶ馬は、連作短編小説に当たる。
その短編のどれもが、誰かが肉体的に傷ついたり、死ぬことはない日常の謎であった。
まず当たり前のことだが、古典とも言える昔の海外小説よりも共感しやすい。
この作品も決して新しくはないが、大昔というほどではない。
内容もさすがに評価が高いだけあって面白かった。
日常的な体験なので、共感しやすいこともあるだろう。
いかにもありそうなリアルな体験に、心が揺さぶられる。
人の弱さ、醜さ、そして美しさが見えてきて、感じ入らずにはいられない。
こういう作品を以前読んだことがある。
坂木司の『青空の卵』だ。
これも日常の謎を題材にした連作短編小説である。
物語の筋とはあまり関係ないが、小説を読んで驚いたのは、主人公がその年の初めからほぼ1年間、一日一冊本を読む、ということをしていたことだ。
今の僕は、図書館通いなので毎日2冊か3冊、軽い読み物ならもっと読む日もある。
しかし、普通の生活をしながら一日一冊は相当厳しいと思う。
趣味が読書しかなくて、暇さえあれば本を読んでいる、ぐらいの人でないと無理なのではないか。
世の読書好きの人はどのくらい本を読んでいるのだろう?
これはどんなものでもそうだと思うのだが、ある文化にたくさん触れて、それのことをよく知るほど、それを楽しむことができるようになる。
ロックにあまり興味がない人が、あるロックの曲にハマって、色々なロックを聴くことで、やがて以前は全く良いとは思えなかったロックも楽しめるようになる、という具合に。
これは本にも言える。
僕が本気で楽しめる本が少ないのは、読んできた本の数が少ないからだろう。
今日の空飛ぶ馬も、面白かったし、面白くなければ最後まで読んでいない。
しかし、その面白さを味わい尽くしたとは思えない。
これは9マイルは遠すぎるもそうだし、以前読んだアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』なんかもそうだ。
面白いのだけれど、十分に楽しめていない気がする。
その点、米澤穂信の作品は最高に面白く読めるのだけれど。
まあ、これは仕方ないのかもしれない。
僕が小説をまともに読み始めたのは大学に入ってからだし、それからもネット小説やライトノベルも好きだったので、一般文芸を読んだ冊数は多くない。
これから少しずつ小説の幅を広げていけたら良いなと思う。
何しろ、娯楽を十全に楽しむ力というのは、人生を豊かにする上で非常に重要なものだから。
意識して鍛えるようなものでもないけれど。
そういえば、小説の他に詩集を読むこともあるのだけれど、どうも心に響くのが子供向けというのか、児童詩? のようなすべてひらがなで書かれた詩が多かったりする。
金子みすゞの『こだま』だとか。
金子みすゞは他にもこういった詩をたくさん書いている。
子供向けでなくても、いいな、と思う詩はあるが、一つの詩集を開いて2つか3つぐらいで、あとは何言ってるのかよく分からないことが多い。
これもきっと、たくさん触れることで変わってくるのだろう。
『こだま』はかなり好きな詩だが、他に題名を覚えているので行くと、『祝婚歌』はとても良い。
谷川俊太郎の『あいしてます』も。
萩原朔太郎の『猫』は何回読んでもよく分からん。
歩いた距離:2km