さよならの朝
今日で四万十川を下りきる。
さよならの日だ。
三里沈下橋に朝日がやって来る。
準備を終えて、体操。
出発した。
市街地まで7km弱歩いた。
やがて、狭い山道から視界が開け、市街が見えた。
僕はこれまでずっと山の中にいたのだ。
市街に出た四万十川は、それはまた綺麗だった。
190kmの長い旅路の末、確かに水は少しずつ汚れてしまった。そう思っていた。
それでも、四万十川は河口を手前にして清流然とした美しさを保っていた。
僕の旅のテーマは、日本の美しい自然が破壊されてきた歴史の後、今どれだけの自然が残されているのか、今この日本にはどのような自然があるのかを知ることだ。
そのテーマに沿って四万十川を見てきた。
昔はもっと綺麗だったはずだ、という思いが、ないわけではない。
ないわけがない。
でも、今でもこんなに綺麗なんだと、僕はあちこちで感動させられてきた。
この美しい状態を守っていくことが今すべきことだろう。
ただ、これはこれでまた、容易なことではないのだ。
僕はこれまで歩きながら、なぜ人間はこんなにも自然を破壊してしまうのだろうと考えていた。
その考えた結論の一つが、人間の『改善癖』だ。
人には何かを改善したがる癖がある。
これは別に、何か問題があるから改善するというわけではない。
後からみればあたかもそう見えるけれど、実際にはそうではない。
特に問題なんてないのに、問題点を探し出して改善するのだ。
その結果、改善前より悪くなる部分については無視される。
要するに、そのまま維持するということが苦手なのだ。
必要のない改善をすることで、その人は功績を得て、大衆は便利になったと喜ぶ。
しかしそこで生まれた歪みに気づくのはしばらく経った後で、その頃にはその改善のない頃はおかしかった、大変すぎた、という印象が広まっている。
利益が絡むことで、改善癖はさらに促進される。
しかし利益に関係ない状態でも、人には改善癖がある。
自然とは、何も手を加えられていない状態のことだから、改善できる場所がたくさん見つかる。
改善欲を抑えるのは難しい。
だから、自然を維持するのは容易ではない。
強く意識して守らねばならないのだ。
裁縫
マルナカというスーパーに着いた。
ここには店内に休憩所があって、涼むことができる。
実はこの時、右足の裏の一部がとても痛かった。
豆ができていたのだが、豆なんて日常茶飯事だ。
特に痛かった理由は、靴下のその部分に穴が空いていて(だから豆ができたのだが)、直接ダメージが来るためだ。
この旅の最初の出発時、モンベルの登山用靴下を新調した。
その靴下のうち、最も厚手の2枚はまだ穴が空いていないが、その他は全て穴が空いた。
1枚だけ持っていった普通の靴下は一月もたなかった。
そこで、ボロボロの靴下を解体して、ほかの靴下の穴の部分に縫い付けることにした。
休憩所に座り、靴下をハサミで切って、針と糸で穴に縫い付けていく。
旅の中では全部自分でやらねばならない。
そうしていると、昔の人の生活に近づいていく。
昔はみんな、生活を自分たちの力でやっていたのだ。
炊事も洗濯も裁縫も。
衣食住すべて。
住は違うだろうと思うかもしれないが、古くなった家を補修するぐらいはみんなしていただろう。
こうした生活を無駄なものとして切り捨てていった結果が今の暮らし方なのだ。
僕は生活というものが好きだ。
人間にとって、とても大切なことのように思える。
確かに手間だし、面倒に思うかもしれない。
それをしなくて良くなって、より高度な、文化的な行為に時間を使えるようになったと人は言う。
その高度で文化的な行為とは、一体何なのだろう。
SNSで赤の他人の失敗や成功を知って一喜一憂することだろうか。
会ったこともない人の、たった数行の情報でその人の何が分かるのか。
僕には、その行為の意味がよく分からない。
良い人と悪い人がいるのではない。
良いことをしたり悪いことをしたりするのが人間なのだ。
SNSで、人は何を裁いているつもりなのだろうか。
あるいは、何を賞賛しているつもりなのだろうか。
脱線した。
僕は、裁縫をしながら、生活をしている気がして、その手間が愛おしくなったと言いたいのだった。
緑の靴下に、灰色のパッチがなされた。
黒の糸でかがり縫いした跡がはっきり見えている。
僕は満足して靴下を衣類入れにしまった。
さよなら四万十川
そのまま休憩所で昼食を食べた。
醤油の詰替えボトル用に、ちょうど良い大きさの飲み物を買った。
というのも、よくあるパチっと蓋を上に開けるタイプのボトルだと、蓋が開いて醤油が漏れてしまうのだ。
これはポン酢もそうなった。
最初は圧迫されて蓋が開くのかとも思ったが、何やら泡立っているし、たぶん暑さで発酵して、内側から二酸化炭素が発生して内部の圧力が高まって蓋が開いてしまうのではないかと思う。
今日昼食にした米も、昨日の夕飯の南蛮漬けのタレをかけた部分を中心にネバネバと納豆のように糸を引いていて、発酵したのか、何かしらの菌が繁殖していたものと思われる。
そのまま食べたが、暑さで色々な食材に問題が起きているようだ。
そこで、回転式のキャップのボトルに醤油を移し替えることにしたのだ。
最初はスーパー内にあったダイソーで探したが、手頃な大きさの容器がなかったので、飲料を買うことにした。
フルーツ紅茶のカクテルである。
今夜は焚き火で夕食を作りながら、昨日お兄さんにもらったクッキーとこのカクテルで一杯やるのだ。
幸せなひとときになるだろう。
やるべきことを終えて、マルナカを出る。
歩いて河口へと向かう。
暑い。
暑いと余計体力を奪われるようだ。
やがて河口近くまで来て、海岸の方へ道は逸れた。
川が見えなくなる。
海岸近くで、落ち葉を掃いているおっちゃんに挨拶して進む。
海岸へ下りる場所は道がなく、1mほどの段差を降りねばならなかった。
荷物を下ろして行こうとすると、さっきのおっちゃんが、向こうにもっと良いテントを張れる場所があると教えてくれた。
やはり人には挨拶しておくべきである。
教えられた砂浜海岸でテントを張る。
その砂浜には、ナミノコガイというシジミのような貝がいた。
波打ち際にいて、波で砂から体が出ると、あわててもぐろうとして、たまにもぐりきれず半身出ている可愛い奴である。
こいつをたくさん採って夕飯のおかずにしようかと思ったが、あまり採れなかったので逃がしてやった。
オカリナを吹く。
四万十川に、別れを告げるのだ。
ありがとう。さよなら四万十川。
また会う日まで。
海岸の写真。蛇足だけど、綺麗だったから。
歩いた距離:19km