名鹿(なしし)
昨夜、砂浜で観た満開の星空は、格別だった。
天の川がはっきりと見える日本最高峰の星空だ。
以前日本で最も星が綺麗に見える場所と言われる、有人島最南端波照間島で星を見て、これほどの星空は日本には他に無いと思ったけれど、それに匹敵する。
美しい星空を観ていると、いつまでもそうしていたくなる。
どうしてこれほど美しいのか…。
これさえあれば、他に何もいらないような気さえしてくる。
自然の中で不思議な程美しいものに出会った時、僕はこの地球に生まれたことの幸運に感謝する。
翌朝、体の疲労が凄まじかった。
体を動かすのがおっくうで、立ち上がりたくない。
思えば昨日も、歩いた距離に比して疲れ具合はひどく、倒れそうになりながら薪を拾い集めた。
昨日の最高気温は38.5度だったと聞いた。
体温を超えるような気温の中、歩き続けて身体から発熱し、体も熱いザックも熱い、アスファルトからの照り返しが熱い、日差しは強烈、となると、いつも以上に体力を奪われる。
今日はもう歩けない。
野田知佑『日本の川を旅する』を手にして、岩場の影で読む。
やがて日が昇り、ジリジリと影がなくなって、少しずつ岩場の奥に追い詰められていく。
とうとう影がなくなって、砂浜から出て四阿に向かった。
野田さんの豊かな旅を読んで、僕は自分が情けなくなる。
川を旅して、潜っては魚を捕り、釣っては魚を捕り、土地の人と話して家に招かれ、土地の知識を得ていく…。
僕は駄目だ。全然駄目だ。
僕には何も無い。
筋力もない。体力もない。
釣りも下手くそ。素潜りも下手くそ。魚の種類も分からない。
コミュニケーション能力が低くて、地域の人と話して土地の話を聞くこともできない。
文章も下手くそ。
駄目だ。全然駄目だ…
本を閉じて民家の近くを歩いた。
土地の人と土地の話ができないのは、時代もある…と思う。
こうして歩いてみても、これまで歩いてきても、閉鎖的な人が増えている。
挨拶しても、返事がないことがしばしばで、これは、通りがかりの人に挨拶されるなんて思ってもみないから、とっさに言葉が出ないからなのだ。
そんな人達と、ちょいと立ち話なんて、元々容易ではない。
旅人とちょっと話してみようなんて準備がある人がそもそも少ないから、挨拶して、天気の話をして、こちらからちょっと話そうよとやっても、外から来た他人と話すなんて思いもしていないから、この人いつまでいるんだろう、となる。
憂鬱な気分で四阿に戻ろうとすると、トイレの近くで草を抜いているおばあちゃんがいた。
僕が近づく頃には影で休んでいて、こんにちは、と挨拶すると、話せる空気になったのでそばに腰を下ろした。
「どっから来たんが」
「奈良です。歩いて旅をしてます」
「歩いて!そりゃ偉いなあ」
おばあちゃんはなまりが強く、二回に一回は聞き返さないと会話できない。
「ジュースでも飲まんか」
と言って、150円くれた。
そばに自販機がある。
ジュースを買って戻って来る。
「年はいくつが」
「24です」
「おお、孫が同じ年や」
孫と重ねたのか、親が心配するだろう、といったことを何度も繰り返し言われた。
今年は特別暑いから、歩いてなんてられない。倒れたら誰に助けてもらうんだ。帰らないかん、と。
まあまあ、となだめて流す。
「やっぱり昔はこんなに暑くなかったんでしょうね」
「そらそう。昔は春夏秋とすぅーっと気温が変わった。今は一気に暑うなる。家ん中じゃ冷房つけんとやってられん。家から出られんなる」
そうか。
この人が若い頃は、クーラーなんてなかったんだろう。
そして、なくても問題なかったんだろう。
地球温暖化というのは凄まじいものだ。
「僕は、日本がどういうものか、日本の自然がどういう状況かを見て歩いているんです。だから、暑いのも寒いのも、この体で体感して歩かないといけないんです」
「…お兄さんは利口がね」
改まった言い方をしたから、勉強者やね、目的を持ってやっとるんや、と感心されてしまった。
しかし僕は口だけだ。
口だけ…。
土地の話を聞いてみようとしたが、この名鹿にいる人は他所からやって来た人が多く、その人達はここでゲストハウスのようなことをしているみたいだ、ということしか分からなかった。
まあ、そんなものだ。
それに、あんまり何かを意図して話すものでもないだろう。
おばあちゃんと話を終えて四阿に戻る。
僕はこの旅を、一冊の本にするつもりだけれど、良いものが書けるだろうか。
それが心配になってくる。
旅自体が良いものであれば、良いものが書けるはずだ。
逆に旅自体がつまらなければ、どんなに技巧を尽くしても、それはつまらない本か虚飾にまみれた本にしかならない。
野田さんと僕は違う人間で、感性も違うのだから、野田さんの本を読んでそれと違うから駄目ということにはならない。
けれど、僕らしい旅の良さとは何なのだろうか。
一昨日会ったお兄さんは僕のやることにやたらと感心してくれたけれど、焚き火と自炊とオカリナと…うーん、どうなのだろう?
僕にとって日常のこれらは、確かに好きなことだし、僕の旅の魅力の一つではあるだろうけれど、本当に小さな一部でしかない。
もっと色々やるべきなのか。
色々とは何か。
僕の旅のテーマは自然を見ることだけれど、日本の自然の中でも特に素晴らしいものの一つである四万十川、また仁淀川を旅して、僕は何をして何を得て何を知ったのか。
毎日が楽しかった。
美しい川を眺めて歩いて、湧き水を飲んで、蛍に出会って、河原で風に吹かれながら本を読んで、オカリナを吹いて、川で泳いで、魚を釣って、魚を調理して、土地の人が作った野菜を安く手に入れて、本気でカレーを作って美味しさに叫んで、土地のどぶろくをちびちびやって、その日出会った人と満天の星空を観た。
四万十川は息を呑むほど美しく、雄大で、それでも下流では少し汚れていた。
道の駅で、元自衛隊パイロットにウイスキーを注がれて夜語り合った。
米がないとぼやいたら、米を置いていないコンビニで、たった一人の店員さんが裏から持ってきた米を安く量り売りしてくれた。
里見の沈下橋で会ったお兄さんにクッキーをもらい、そこにやって来たレンタルカヌー屋のお姉さんに高知のゆずジュースをもらった。
この人達は里見沈下橋の辺りが四万十川で一番好きだと話していた。
僕はもっと上流の、玉石のような石にアユが群がる所が好きだと思った。
この川にもっと長くいて、泳いで魚を捕ってエビを捕ってうなぎを捕って、酒を飲んで、星を見たいと思った。
それが僕の四万十川の旅だった。
思い返してみると、悲観するほどでもない。
良い旅をしている。
もっと良い旅にするために、日々考えて歩いて、僕らしい旅にしていけばいいか。
次は足摺岬。
足摺岬とはどんなところだろう?
出っ張っているから行ってみるけれど、何がこの土地の良さなのだろうか。
土地の魅力を、探しながら歩いてみよう。
土地の良さといえば、ここ名鹿は良い所だ。
名鹿は四万十川河口の右岸側に少し行った所にある。
高知県は中心部以外は全部田舎で、点々と町がある程度だ。
この辺りだと四万十川橋のある市街地が町に当たるが、名鹿は山を挟んで市街地から隔たっているので、夜は市街地の明かりが届かず星がよく見える。
砂浜なので南側は開けていて、昨夜はなかなか見えないことが多いみずがめ座がよく見えた。
砂浜は海水浴場になっている。
海水浴場といっても管理人がいるわけではなく、ただ綺麗な砂浜だけがある。
こじんまりとしているが、綺麗なトイレと無料シャワーがある。
これらは役所から清掃に来ている人がいて、だから砂浜が綺麗なのもこういう人がゴミを拾い、漂流木をいくつかにまとめておいてくれるおかげだろう。
人も少なくて静か。
こういう場所を知っていると、人が大勢いるごみごみした海水浴場にみんなして集まっているのが滑稽に思えてくる。
海水浴ならこういう所が一番だろう。
夜は星が最高なので是非キャンプするべきだ。
ここの星空は日本有数である。
キャンプ場なんてない。逆に言えば無料で浜にテントを張れて、そばにトイレがある。
焚き火も自由にできてこんなに良い砂浜はなかなかない。
良い場所は僻地にある。
そしてアクセスが悪いのだ。
もっとも、僕は徒歩だから関係ないが。
昼の砂浜。
夜明けの砂浜。
家族で車で来て、スイカを岩場の波が落ち着いた所で冷やして、海水浴して、スイカ割りして、なんならタープでも張ってバーベキューして、食材は近くの四万十市街で買えば良いし、日が沈んで涼しくなったらシャワーで身体を流して、そこで帰らずに夕食にして、焚き火を囲んで酒やお菓子をつまみながら話して、焚き火の炎が消えて炭が赤く光るだけになったら花火でもして、最後は砂浜に敷いたシートの上で仰向けになって最高の星空を観て、眠くなったらテントで寝て、翌朝早くに帰る。
人気の海水浴場より自由に何でもできる。
こっちの方が良いに決まってる。
海水浴
疲労を抜くために、今日はできる限り動きたくなかったのだけれど、空は快晴でこれだけ美しい海を前にして泳がないのは罪な気さえする。
海パンを履いて飛び込むと、その水の綺麗なこと!
四万十川上流の透明度である。
つまり最高レベル。
水中眼鏡がないことが悔やまれた。
四万十川でもこれは残念だった。
水中で目を開けてもぼやけた視界しか開けない。
しかし肩まで浸かっても海面から足がまったく濁りなく見える。
波が水底に光の網をかける。
紺碧の海。
最高だった。
食べられるものを探す。
魚も泳いでいるが暑いので釣りはしたくない。
水に浸かりながら片手間で採れるものが良い。
マガキにケガキ、オハグロガキと、カキがいるが、時期が気になる。
マガキは、rのつく月にしか食べられない。
今はJuly。
rはつかないので駄目だ。
マツバガイがいるが、小さい。
ここで見つけた食べられそうな貝は、ちょっと大きめの巻貝だ。
図鑑で調べたがのっていなかった。
サザエほど大きくないが、イシダタミよりは明らかに大きい。
こいつを使ってクラムチャウダー風のシチューにしよう。
今日は休む予定ではなかったから食材が少ないのだ。
玉ねぎと卵しかない。
シチューのルウは余っていたのでちょうど良い。
アカウミガメの孵化場
海から上がって四阿にて、スーパーで買ったダバダ火振を飲みながらオカリナを吹いていた。
この海岸には、アカウミガメの孵化場と書いてある小さな囲いがあったのだが、そこで何かしている人がいた。
地元の人が手入れに来ているのだろう。
「こんにちは」
「こんにちは」
顔を上げて帽子の下が見えると、よく日焼けした褐色肌のおじいさんだ。
「アカウミガメが産卵に来るんですねえ」
「ええ」
「綺麗ですもんね、ここ」
「そうですかね」
「綺麗ですよ、とても」
おじいさんは照れたように首を傾げた。
綺麗な浜を維持しているのは、この人を含む地元の人達だ。
「去年の冬は海がそんなに荒れなかったから、流木が少ないんですよ」
まるで言い訳するようにおじいさんは言った。
「ここに産卵していくんですか?」
囲いは、浜のもっとも道路側近くにあり、2つ分、産卵に来た日付と卵の個数が書かれていた。
「ええと、もっと海岸近くで産むんですが、大きな波が来た時にさらわれちゃうんです。それで、私らがこっちに移してます」
そりゃそうだ。
こんな近くにわざわざ産みに来るはずないし、個数を数えたのも移すときだろう。
「60cmぐらいの深さに埋めてあります。実際にアカウミガメが埋めるのもそれぐらいです。そこから、空気もない中砂をかき分けて出てくるんですな」
「へぇ。これ孵化するのはいつぐらいですかね?」
「大体2ヶ月後くらい。だから、最初の方は、もうそろそろですね」
「へえ!そうなんですね」
「夜が明ける前にね、海の方へ向かいます」
「孵化しても、海にたどり着くまでに結構食べられてしまうと聞いたことがあるんですが」
「うーん、カラスとかタヌキとかは、私らが追い払いますからね」
ウミガメの孵化も見守るみたいだ。
「でも、カラスにはそれでも食べられて、あとはカニがおるから…それでも、大半は海までは行きますね」
まだそこから、だいぶ減るらしい。
「それから25年から30年程して、産卵に戻ってきます」
「産まれた場所に戻ってくるんですか?」
「そう言われとります」
そうなのか。鮭みたいだ。
「砂の温度が平均で37度を超えると全部メスになります。それより下だと全部オスになるそうです」
「そうなんですか!ワニみたいですね。あ、同じ爬虫類か」
「なんでかは分かりませんが」
おじいさんは、孵化場から浜への砂に生える草を抜いて、砂を均す道具で丁寧に砂を均していく。
「25年から30年ですから、今年産まれたカメが帰ってくるのは、私らは見れないんですけれど」
少し寂しそうに、おじいさんは笑った。
おじいさんの来ているTシャツは、この海と同じ色で、波のような白い筆文字で『名鹿』とプリントされている。
地元愛とは、こういうのを言うのだろう。
おじいさんは僕と別れたあと、囲いの外でも均しをしていた。
静かで、謙虚で、地元の浜のために尽力するけれど、それを誇るようでもない。
格好良い人だった。
たった数分言葉を交わしただけでその人のことなんて分からないのだけれど、やっぱりその数分にも人柄は出るものだ。
旅をしていろんな人に会うと、数分で情けない程人間の小ささを披露してくれる人も多い。
逆に数分で尊敬の念を抱かせてくれる人は、そうそういないものなのだが。
今日は、良い人に出会った。
素晴らしい景色ある所に、素晴らしい人が住む、とは限らないと知っているだけに、嬉しいものだ。
怪しげな男
四阿に陣取ってダバダ火振を飲みながらオカリナを吹いていた。
海岸には時々遊びに来る人がいて、四阿のあるところには駐車場があるのでみんなまずはここに来る。
子供とその母親、さらにその親戚と思われるおばちゃんの3人が来た。
酒をちびちびやりながらこんにちはと言ってオカリナを吹き始めた。
その人達は近くの猫に親しげに話しかけていたので、あの猫を知ってるんですか?と聞くと、たぶん地域猫なんですと返ってくる。
しかしその態度が何やらよそよそしいのである。
昼間から四阿で酒を飲んではオカリナを吹く無精髭を生やした男は怪しく映るのだろう。
それに気づいたらおかしかった。
次に来たのはバイクに乗ったおっちゃんで、四万十の市街地の方に住んでいてよくここに泳ぎに来るらしい。
僕が日本一周していると言うと、息子も日本一周していたという。
3回ぐらいしたんじゃないのか、と。
何度も日本一周する人の話は前も聞いたことがある。
気持はよく分かる。
一回回ると、もっと見てみたい場所が増えるのだ。
それに、歩きの僕ですら一回じゃまだまだ足りないと思うのだ。
自転車でぱーっと通り過ぎてしまっては足りないと思うのも無理はない。
夕食
今日の夕食はシチューだ。
まず貝を海水でよく洗う。
それから貝と卵を真水で茹でる。
茹で上がったら焚き火で米を炊く。
巻貝は安全ピンで身を取り出す。
貝のフタの端に針を差し込み、くるくると殻の方を回して身を取り出す。
たまに身が奥でひっついて身がちぎれることがあるが、仕方ない。
そうしていると、遠くから「おーい」と声がする。
まさか僕に言っているとは思わず、スルーしていたが、何度か言っているので振り向いてみると、どうも僕の方を向いている。
そちらに向かっていくと、さっき話していたおっちゃんだった。
レジ袋を下げている。
「これ、差し入れ」
と言って、レジ袋を渡される。ちらっと見えた所、お菓子や飲み物が入っていた。
「え、いいんですか。ありがとうございます!」
戻って中を見てみると、最高のラインナップだった。
高知県では芋けんぴが特産らしく、どこへ行っても芋けんぴが売り出されていた。
食べたかったが、節約して買わなかった。
また、ミレービスケットも高地で作っているらしく、高知ではどの店にもコンビニにもある。
ミレービスケットは元々好きなので、こう何度も見かけると食べたくなるに決まっている。
その両方がレジ袋には入っていた。
さらに塩分チャージのタブレットに、塩分補給ができるジュース2本。
本当に嬉しかった。
卵は殻をむく。
米が炊けたら玉ねぎを炒める。
貝の茹で汁に玉ねぎ、卵、貝の身を入れてひと煮立ちさせ、シチュールウを投入。
スキムミルクを水で溶かして入れて、少し煮込んで味見。
ちょっと足りない感じなので鶏がらスープの素を入れて味見。
もう一歩という感じなのでコンソメを入れて完成。
貝出汁のよく出たシチューの出来上がり。
シチューはもちろん美味しかった。
玉ねぎと卵だけでどうしようかと思っていたが、意外となんとかなるもんだ。
空はよく晴れている。
今日も綺麗な星空が見えそうだ。
歩いた距離:0km