真夏の床暖房
ちょっと想像してみてほしい。
この暑い夏、部屋のクーラーが壊れた。
業者を呼ぶには遅すぎるので明日までクーラーはなしだ。
家に扇風機は無いとする。
一方で何故か床暖房はついている。
あなたの寝床はベッドではなく敷布団だとする。
この床暖房の上で寝なければならない。
床暖房を消すことはできない。
眠れるだろうか?
答え: 眠れない
これが昨夜の僕の状況だった。
いや、昨夜だけでなく、一昨日の夜もそうだった。
テントを張る公園だが、以前背の低い芝のような草の上でテントを張ると、大量のアリがいて、こいつらがテント内にぞろぞろと入ってきた。
これを避けるため、今回はアスファルトの上に張ったのだが、これは最悪の一手だった。
日中太陽に温められ、裸足では歩けないぐらいの熱を持ったアスファルトは、夜になってもその温かさを失わず、さながら床暖房のようにテント内を温め続けた。
ただでさえテント内は風が通らず、熱がこもって暑いのに、下は床暖房である。
なかなか寝付けないだけにとどまらず、一昨日の夜、僕はこの夏初めて夜中に目が覚めた。
暑すぎるのだ。
しかしこの時の僕は、まあもう少ししたら冷めてくるだろうと楽観的に構え、再び寝た。
寝れてしまった。
この夜は比較的涼しかったため、それができてしまったのだ。
そのため、真夏の床暖房の脅威を忘れ、翌日に当たる昨日も同じようにアスファルトにテントを張った。
しかし今度は昨日のようにはいかない。
あまりの暑さに一旦テント内が冷めるまで外でネット小説を読む。
この日夕方に面白いのを見つけたためでもあった。
しかしさすがにいつまでもそうしていては寝不足になるのでテントに入って眠ろうとする。
大丈夫。寝れる。俺なら寝れる。真夏の西表島でも、仲間の中で俺だけはテント内で夜を明かした。寝れる。寝れる。寝れる…
…寝れなかった。
眠れる眠れないどころではない。
このままでは熱中症だ。
ことここに至って、ようやくテントを草の上に移動することにした。
最初からこうしておけば良かったのだ。
しかし荷物を出してテントを移動してまた荷物を入れるのがとてつもない重労働に感じられて動かなかった。
重い腰を上げて草の上にテントを移動し、中に入って目をつぶる。
あっけないほど寝入るのは早かった。
松尾峠
松尾峠とは、その昔土佐と伊予をつなぐ主要な街道が通り、幕府の巡見使、旅人、遍路など、みんなこの道を通り、この峠を越えたのであった。
1801年の記録では、普通の日で二百人、多い日で三百人の人が通ったという。
日が暮れては山越えはできない。人が通ったのは午前七時から午後5時までの10時間と仮定すると、普通の日で3分に一人、多い日で2分に1人通ったことになる。
車や電車を使って毎日県外に通勤する人が当たり前にいる現代では、これが多いのかそれほど多くないのかピンとこないだろう。
しかし移動手段が徒歩に限られ、この峠を通るには山越えしなければならないと考えると、よほどの用事がない限りこんな所は通りたくないとは思わないだろうか。
そう考えると、3分に1人はかなり賑わっていたと考えられるだろう。
そんな松尾峠に向かって、山道を登っていた。
これがもう意外なほどしんどくて、ゼーハーゼーハー息を切らし、数十メートルおきに止まっては膝に手をつくような惨めな姿で登っていた。
たかだか300mの登りがなぜこれほどしんどいのか。
最近山道を登っていなかったから、脚が驚いているのだろうか。
こんなのでよく山嶺、剣山を縦走できたものだ。
この道は遍路道であり、定期的に小学生からお遍路さんへのメッセージが道の脇の木に吊るされてある。
「あきらめず最後まで頑張ってください」「八十八箇所も行くのは大変ですね。けがしないように頑張ってください」「頂上からは宿毛湾が綺麗に見えます。頑張ってください」
などなど。
メッセージによって個性が出ていて、見ていて面白い。
そして、意外なほどこれで元気が出るのだ。
中でも気になったのは、「宿毛の魚は美味しいですから是非食べてください」というメッセージがやたら多いことだった。
子どもが地元の魚をそれほどに誇りに思っているのだろうか?
まあ、何かの流れでそんなメッセージが多くなったのだろう。
一つはっきりしているのは、このメッセージは高知側から松尾峠を通って愛媛へと行く人に向けて書かれている。ということは、これを読む人間は宿毛から出ようとしているわけで、そのメッセージは手遅れだということだ。
小学生のメッセージに励まされながら松尾峠に到着。
まあ僕はお遍路さんではないんだけれど。
宿毛湾が一望できるこの場所には、古くは茶屋があり、甘味などを売っていたらしい。
今では木の長椅子が2つ置かれただけの休憩所となっている。
昔は3分に1人のペースでここに人が訪れた。
二人に一人が30分程茶屋で滞在したとすると、この狭い空間に常に5人はいて、入れ代わり立ち代わりしたのだろう。
情景がこの場に現れるように想像できる。
僕がその場にいたら、みんなが食べている団子やまんじゅうを見て舌の上で味を想像したあと、鉄の心で買うのを我慢して通り過ぎただろう。
昭和4年に宿毛トンネルが貫通してからはこの道を通る人も無くなり、茶屋や、かつてはここを通る遍路皆が参拝した弘法大師を祀ったお堂も今や跡だけが残っている。
今や、この道を通るのはお遍路さんと、僕のような奇特な旅人だけであろう。
愛南町
愛媛県に入った。
松尾峠はちょうど県境になっている。
愛媛に入ってすぐの街は、かつての町のいくつかが統合されてできた町で、その名前は愛媛の南の町、愛南町である。
決して批判するわけでは無いが、高知では挨拶するとほぼ確実に挨拶が返ってきたが、愛媛に入ってから僕の挨拶はスルーされ続けた。
この辺りの人には知らない人に挨拶するという習慣がないのだろう。
道の駅みしょうMICに着いた。
冷房の効いた座って休める室内があり、WiFi も使えたが、充電はできない。
ちょっと休んで出発しようと思ったが、あまりの疲労で少し寝てしまった。
考えてみると、昨夜はあまり睡眠時間がとれていない。
松尾峠がしんどかったのもそれが原因ではないだろうか。
思えば1日休んだ次の日なのに全然そんな感じがなく、普通に疲労していた。
起きてからも、歩ける気がせず、今日はもうここで終わりにしてしまおうかと思ってまた仮眠をとった。
起きると歩けそうだったので再出発だ。
スーパーで食材を買おうとするが、野菜が高い。
よし、鶏肉を買って唐揚げにしよう。
なんとなく気分ややる気が優れない時は唐揚げだ。
唐揚げはすべてを解決する。
室手海岸にて、石やセメント、アスファルトの上を避け、でこぼこでアリの多い草の上にテントを張る。
せっかく海辺に来たのに、テントを張った場所からは海が見えない。
夕食は海の見える場所で作り、食べた。
唐揚げは絶品だった。
今日は床暖房が無い。
これだけで快適さは段違いである。
歩いた距離:33km