歩いて日本一周ブログ

歩いて日本一周する記録とか雑記

愚か者

愚か者

昨日は寝床探しなど大変ではないなどと嘯いたものだけれど、昨日ここでいいか、と決めた場所は地面がアスファルトだった。

アスファルトは床暖房であり、夜中暑すぎてあまり眠れなかった。

同じ失敗を幾度となく繰り返す。

賢人は歴史から学び、愚者は経験から学ぶというけれど、経験しても喉元過ぎれば熱さを忘れて同じ間違いを繰り返すのが本物の愚か者の特徴だ。

 

最初この場所に決めた時、一応地面を触って、うん、これなら大丈夫だろう、と熱さを確かめたのだけど、いざテントを張る段になってもう一度触ると、あれ、なんか熱くないか、となったのだ。

まあ、前にまったく眠れなかった時ほど暑くはなかったのでまったく眠れなかったわけではない。

 

まだまだ残暑が厳しいのは間違いないけれど、『残暑』と言えるような季節にはなってきたようだ。

いつの間にか殺人的な暑さはなりを潜めていき、陰に入れば耐えられる気温である。

 

今日は朝からラジオを聴きながら朝食を食べた。

桑田佳祐やさしい夜遊び』。

ほとんどエンディングの『ジャンヌ・ダルクによろしく』を聴くためにラジオを聴いていると言っても過言ではない。

今でも新しく素晴らしい曲を出し続けているサザンオールスターズは流石である。

 

ラジオを聴いていて、桑田さんは良い年の取り方をしているなぁ、素晴らしい人だなぁと感じる。

ラジオでは桑田さんにリスナーから様々な質問が寄せられる。

悪意のある質問は一つもないが、なんとなく桑田さんの意に沿わないというか、それはちょっと違うんじゃないのか、と思われる質問なんかもある。

意に沿わない話が来ると、否定したくなるものだと思うが、桑田さんは終始穏やかな様子で否定せずになんとなく違う方向に話題の方向を逸して返している。

たぶん意識してやっているのではなく、まったく自然にそうしている。

意に沿わない話題に対して反発心や苛立ちというのを微塵も抱いてないようなのだ。

 

こういうのを聞くと、僕はなんて小さい人間なのだろうか、と思う。

最近ちょっと旅慣れてきたからと言って調子に乗っているというか、どこか偉そうなのだ。

これはブログを最初から読んだ人は感じるのではないかと思うが、最初の頃は謙虚で良い人っぽい感じだったのが、次第に本性を表してきてなんか偉そうなのである。

 

高校生の頃、友人から、お前は周りの人間を下に見ている、と指摘されたことがある。

いやいやそんなことはない、と思ったものの、今考えてみると確かに高校生の頃はそんな側面があった気がする。

そしてきっと、それは今でも多少あるのだ。

 

僕が、この人は素晴らしい人だな、と感じる時、その人は謙虚であることが多い。

人は謙虚であるべきだ。

しかし謙虚であるというのは難しいことだ。

 

僕は半ば住所不定無職であり、社会的に底辺を生きているが、僕自身はこの選択を愚かだとは思っていない。

むしろ流されて生きるのではなく、自分の人生に真摯に向き合って、なかなか難しい道を選んだ自分は偉いとすら思っている。

だが、世間的には僕はふらふら遊び歩いているだけの放蕩青年である。

だから世間の見方に合わせて、ハイ、僕なんて働きもせずフラフラしているだけのダメ人間でさあ、とへりくだる、というやり方もある。

しかしこれは謙虚に見えるとしても良い姿勢とは言えない。

自分の意見、考え方を仕舞い込んで表面上へりくだるのは本質的なやり方ではない。

 

自分の意見ははっきり持ちつつ、でもそれに反する意見に出会った時、目くじらを立てて感情のままに反発しないことが重要なのだと思う。

謙虚であるとは素直であることにも通じる。

素直であるとは他人の意見をすっと受け入れることだけれど、何も全て人の言う通りにするというわけではない。

では人が話している時は、うんうん、そうですねえ、と同意しながら聞いていて、とりあえず素直に聞いているが、後から吟味してあの人の話はここは良いけれど、ここは変だったなと思い返すのはどうか。

これは一見正解のように思えるし、方向性としては正解に近いと思われるが、ともすると相手にしていないというか、あしらっている風になりがちである。

 

難しい。

謙虚であろうとは難しいことだ。

 

自分でも時々感じるのは、なんか僕って偉そうだな、ということ。

現に僕は自分のことを偉いと思っているし、賢いとも思っている。

偉そうな態度はそこから来るのだろう。

でも同時にそれ以上に、自分が馬鹿で無思慮で無分別で傲慢でしかも大したことはない、小さな人間であることも分かっている。

 

両方が真実としてあるのだから、やはり偉そうにしていてはいけないのだ。

 

今朝思ったのは、桑田さんを前にして話したなら、僕は偉そうには振る舞わないだろうな、ということ。

今朝書きたかったのはまさにこの一文なのだ。

 

実際に、偉いな、と自分が思う相手を前にしてはなかなか偉そうには出られないし、自然と謙虚になる。

つまりこれは、相手によって態度を変えているということで、非常に良くない。

偉そうにするなら誰の前でも偉そうにするべきだ。

謙虚に振る舞うための一つの方法として、常に誰か偉い人が自分を見ていると思うのはどうか。

偉い人、人格者を前にしていても問題のない振る舞いを意識すれば、自然と謙虚で、それでいて自分の正しさを失わないでいられるのではないだろうか。

 

 

道の駅多々羅しまなみ公園


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5km程歩いて道の駅多々羅しまなみ公園に到着。

ここはおそらくしまなみ海道で一番大きな道の駅だ。

これまでの道の駅では産直市場が無いのが不満だったが、ここにはちゃんとある。

朝採れた野菜を野菜セットとして売っているのがあった。

白茄子、那須、ゴーヤ、きゅうり、ミニトマトが入って300円。

なかなか良い。

また、前から少し気になっていたバターナッツカボチャを買ってみた。

これ何なんだろう。
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お土産屋に入る。

酒コーナーには、いつも通り地酒が売っているが、地酒はどこにでもあるので簡単には手が伸びない。

クラフトビールや、通販では買えない『旅酒』とやらも売っていたがスルー。

昨日もどら一を買ったし散財はよくない。

見て回っていると、「すいません」と店員を呼びつけた人が値段を確認していた。

「安いですよね」なんて言っているので見てみると、わらび餅が六個入りで160円だった。

瀬戸内のりと黒大豆きなこの味と、愛媛みかんと黒大豆きなこの味の2種類がある。

スーパーなどで売っているわらび餅は、たいていわらび粉を使っていない偽物だが、もちろんこれはわらび粉を使っていた。

それで160円。

たしかに安い。

値段が100円台になるとすぐに財布が緩むもので、買ってしまった。

最近散財が酷いな。

 

わらび餅は、きな粉に海苔が混ざっていて、こちらには砂糖は入っていない。

餅の方だけ甘い。

柔らかくて美味しかった。

わらび餅の食感は素晴らしいな。

偽物だとこうはいかないだろう。

 

わらび餅を食べていると、目の前を小さい子供を一人連れた三人家族が歩いていく。

お父さんが言った。

「あのクラフトビール飲んでみたいな。金があれば」

分かるよ。すごく分かる。

というか、ちゃんと働いて稼いでいるであろう普通の人がそういうセリフを言うと、親近感が湧いて嬉しい。

まあ普通はみんな、余るほど金があるわけ無いよな。

でも、それぐらいが幸せなんだぜ。

 

 

サンセットビーチ

道の駅から歩いていくと賑やかな声が聞こえてきた。

ビーチに海の家や屋根がたくさん設けられ、海水浴やバーベキューを楽しんでいる。

この辺で昼食にしようと適当に屋根の下に陣取った。

 

青年がやってきて、「あ、ちょっとここいいですか?」というので「もちろん。全然どうぞ」と答えた。

しかし横を見るとまだまだ他の屋根の下が空いている。

なぜわざわざ僕のところに来たのだろうと思うと、青年の手に貸出証のようなものがある。

「もしかして予約とかして借りるシステムですか?」

「そうなんですよ。あ、なんかここで始めようとしてました?」

「いや、飯くおうとしてただけです。すいません」

「いや、1個ズレてくれればいいっすよ」

どうも貸出手続きをして占有するシステムらしかった。

まあ面倒だし人が来たらまた移動すればいいか、と隣に1個ズレた。

「日本一周してるんですか?」

「はい。そうです」

「え、どこから?」

「奈良からです」

「全部歩きですか?」

「そうですね。徳島から和歌山はフェリー使いましたけど」

「えっぐ。すげえなあ」

若者に素直に感心してもらえると嬉しい。

まあ、歳はあまり変わらなそうだが。

 

昼食を食べ、海で泳ぐか迷った。

しかし疲れていたし、まだ歩かないといけない。

昨日も泳いだし、シャワーは有料なので浴びれない。

やめておこう。

オカリナだけ吹くことにした。

昨日は変なやつがいちゃもんつけてきたが、今日は大丈夫だろう。

いつも大体同じような選曲になるので、あまり吹かないのを入れて吹いた。

サボテンの花』『島唄』『涙そうそう

涙そうそうを吹いている時にさっきの青年のグループが隣に帰ってきて、鼻歌で合わせてくる。

その感じがちょっと懐かしい。

僕が探検部でオカリナを吹くと、みんな思い思いに大声で歌を合わせてきて、その声にオカリナの音はかき消されるというのがパターンだった。

大体の曲では頭の中でドレミを歌いながら吹いているので、その声に頭の中のドレミまでもがかき消されて指遣いを間違えるということもよくあった。

もっと静かに聞けないのかよ…と思うこともあったが、その声がなくなると寂しいもので、外で吹く時、静かに聴いてくれている人がいると、歌ってくれていいんだぜ、なんて思っている。

「それ、なんですか?」

「これ? これはオカリナ」

「へぇ」「え、お前知らないの?」「ていうかクラリネットじゃねえじゃん」

などと楽しそうに話している。

気の良い兄ちゃん達だ。

オカリナはトトロが吹いてるやつだよ。

あとクラリネットは全然違う。

 

 

特産品

旅をしていると、地域の特産というものがよく分かる。

ここ生口島瀬戸田は、国内最初で最大のレモンの産地だったらしい。

レモンのPRがあちこちでされている。


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また、しまなみ海道の名物といえばなんと言ってもサイクリングだろう。

サイクリングロードが整備され、物凄く歩きやすい。

金をかければ道はこんなに歩きやすくなるのか、いつも僕が歩いている国道は何だったのだと感じる。

瀬戸内海に加え、大きな橋も見栄えが良く、道の駅があって美味しいものが食べられ、海水浴もできる。

こんなに楽しい自転車旅ができる場所は日本にそうそう無い。

 

橋といえばやはり多々羅大橋は格別に美しい。


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大きな人工物は自然を否応なく破壊するので、あまり好きとは言えないのだが、そんなこと関係なくこの橋は美しかった。

巨大で、安定していて、合理的な形。

聞けば、多々羅大橋は環境に配慮してこの形になった側面もあるらしい。

確かに、海の真ん中には柱が無い。

考えてみると、柱と柱の間がこんなに開いているのに、よくたわみもせずに真っ直ぐ道が走っているものだ。

この幾本も斜めに繋がれた金属線で橋を支えているのだろう。

 

因島への橋を渡る。

橋から普通の道までをつなぐ道には、たいていちょっとした休憩のスペースがあるので、そこで泊をする。

今日はちゃんと草の上だ。

順調に進めば、明日でしまなみ海道を抜け、尾道市に着く。

 

休憩スペースの長椅子に座っていると、自転車で60後半の爺さんが来た。

「こんにちは」

「こんにちは。暑いですね」

「暑いですねー」

「わたしはここが地元なんですが、今日、因島で祭りがありまして」

「へえ! 因島ってここですよね」

「はい。北の方でね。小早船というのがあるんですが」

「ああ、分かります。あの速いやつですね」

村上海賊が使ったという速さに特化した船だ。

現在では復元したものでレースも行われているらしい。

「ええ、そのレースがあって」

「え、何時からですか?」

「朝八時からで、四時まで。終わって帰るところなんです」

なんだ…終わってしまったのか。

「応援に行ったんですが、あそこは駐車場がなくて」

「ほう」

「関係者の分はあるんですが…。だから1時間かけて自転車で」

祭りの応援に行くのに、駐車場がないから自転車こいで1時間かけて行ったのか。

すごいなこの爺さん。

地元では普通なのか?

「では、そろそろ行きます。頑張ってください」

「あ、はい。ありがとうございます」

そちらこそお気をつけて、という前に爺さんは行ってしまった。

元気だなあ。

 

突然風が強く吹いてきた。

明らかに異常な感じだ。

今までこの辺りでこんな風の吹き方はなかった。

おそらく台風が近づいている。

早くテントを立てねば。

 

歩いた距離:23km