手抜きペペロン
昨日の夕食はパスタだったので、朝食が無い。
かと言ってパンを買えるような店もないので朝食と昼食は作っていく。
手抜きのペペロンチーノでいいだろう。
普段ならにんにくの香りと唐辛子の辛味を出すために油で炒め、酒を入れて乳化させるが、ドライガーリックと一味唐辛子を使えば香りは初めからある。
パスタだけ茹でて、そこにサラダ油、ドライガーリック、塩、胡椒、一味唐辛子をかければ完成だ。
結果として、味はそこそこいけたが、乳化させていないただの油は量的に足りず、パスタの潤滑油としての役割を果たせなかった。
パスタ同士が絡まりあってうまく混ぜられない。
ペペロンチーノを舐めてはいけないようだ。
もらったヨーグルトを食べた。
美味かった。
帝釈峡
帝釈峡にやってきた。
ここは比婆道後帝釈国定公園として指定されているらしい。
相変わらず小バエがうざいが仕方ない。
帝釈峡にはダムが作られ、それにより神龍湖という大仰な名前のダム湖ができている。
遊覧船などもあり、秋になると紅葉が美しいそうだ。
うん。まあまあかな。
ダム湖は大体そうだが、水が汚い。
遊歩道に沿って歩いていく。
天気は良いのだけれど、湖が濁っているので惜しい感じだった。
落石のせいで通行不可になっている場所を迂回した。
迂回する山道は急傾斜があり、靴など十分な装備がない場合通行困難ですなどと大げさに書いてあった。
歩いてみると普通の登山道なのだが、何しろ小バエと蜘蛛の巣がひどかった。
小バエは常に顔の前に十匹ぐらい飛んでいて、たまに鼻の穴や耳の穴、しまいには目の中に入ってくる。
それを避けようと下を向きながら歩くと、蜘蛛の巣に気づかず顔面蜘蛛の巣を喰らうという悪質コンボである。
今日だけで何度蜘蛛の巣に顔面から突っ込んだか。
大体、この程度の山道をあんなふうに誇大に危険なふうに書くから歩く人が減って、蜘蛛の巣が跳梁跋扈するのだ。
人が歩かなくなった登山道ほど蜘蛛の巣が多いところはない。
道の空間がある分、蜘蛛にとっては獲物を待ち構えるのにもってこいなのだ。
山道から抜けるところでは、背の高い草が生い茂り、それについた水滴が体中を不快に濡らした。
これ絶対人歩いてないだろ。
廃墟と自販機。
なんとなく趣がある。
小さなトンネル。
迂回路を抜けた先は川が流れていた。
なかなか良い景色。
台風のせいか、若干水に濁りが見えたが、そんなことも気にならないほど小バエがうざい。
何なんだこいつ本当に。
写真を撮ろうと一瞬払うのをやめただけでブンブンブンブン顔の前で飛び回る。
カメラにハエが映らないようにするのも面倒だった。
こいつらがどれくらいうざいかと言うと、『ブンブンブン♪ハチがとぶん♪』の歌の歌詞をすべて『ブン』の連続に変えて、それを1番から3番まで耳元で歌い上げられるうざさを十倍したぐらい、うざい。
こっちがそれなりの荷物を持って急傾斜を登っているときもブンブンブンブン、油断すると顔面蜘蛛の巣。
ああああ! ガッデム!
僕だってアウトドアを始めてそれなりに色々やってきた。
今さら虫程度にうじうじ言いたくないし、言っていて情けなくもなってくる。
命の危険が迫るような過酷なことをしている時は、過酷な環境にいるという高揚感、それを達成した先に自信になるため頑張れたりする。
だがこういう地味な嫌がらせを始終されると、ただただ萎えるだけで何一つ得るものはないのである。
それでも川は綺麗だ。
雄橋。
天然の橋で、実際に昔は橋として使われていた。
石灰岩質の洞窟に川が流れるようになり、この雄橋の部分を残して天井が崩落してできたらしい。
立派である。
ちょうどこのあたりで、反対方向からきた人とすれ違った。
二人いたが、どちらもハエにたかられてはいない。
その後も別の二人組とすれ違ったが、小バエにたかられてはいなかった。
Why? なぜだろう♪
無論、僕は重い荷物を持ってずっと歩いているので汗をかいているのであり、多少臭い。
その違いが小バエの差を生むのだろう。
僕は人から臭いと思われるほどには臭くないはずで、小バエだからその違いを察知しているに過ぎない。
…はずだ。
いやしかし、そういえばこれまでこれほどの小バエに集られたことがあったろうか。
いや…うん、ちょっと待て。
最後に風呂に入ったのはいつだったか。
たぶん1週間前ぐらいだと思うのだが…。
まず、割と最近公園の蛇口で頭を洗った記憶がある。
あれは鞆の浦だから、4日前だ。
尾道では銭湯に行ってないし、しまなみ海道ではそれどころかテント場すらまともな場所がなかった。
となると今治か。
日記を読み返す。
えーと…今治では風呂に入っていない…。
その前は石鎚山で、山を登ったあと石鎚山温泉に入ろうかと思ったけどなりゆきで入らなかった。
石鎚山に登る前に、登山口までの途中の川で水浴びをしている。
うん。ここで一度綺麗になっているな。
でも最後に風呂に入ったのは……道後温泉か。
8月14日。
ちょうど3週間前だな…。
…僕が恐ろしかったのは、3週間も風呂に入っていなかったことではなく、3週間も風呂に入っていなかったのに、それを何とも思っておらず、風呂に入りたいとも、特に感じていないことだった。
なんなら、手ぬぐいを濡らしに行くのがめんどくさくて、今日は体拭かなくてもいいかあ、なんて日もあった。
言い訳をさせてもらうなら、最近は夕方が涼しくなってきた。
真夏では夕食後、汗だくだくで、体を拭かずに寝るなんて考えられなかったが、最近は夕食後には汗が乾いていて、気持ち的にはスッキリしていたので、もういいかな、なんて思っていたのだ。
四万十川を歩いた時は、3週間風呂に入らなかったが、あの時は頻繁に川で行水していたし、それでも風呂に入りたい欲求はあった。
しかし今は…。
慣れとは怖いものである。
小バエが集まっていたのはそういうことだったのか。
早急に風呂に入らねばならない。
でもこの辺風呂あるかなあ?
ひょっとしてそういうことだったのか?
帝釈峡を出て東城に向かう。
東城はここから北東に歩いたところにある町で、そこには道の駅がある。
山の中に町がある。
これは、四国ではおよそ考えられないことだった。
日本の地理を大まかに説明する際、中国山地はなだらかで、四国山地は急峻である、と対比的に語られることが多い。
実際に歩いてみてそれはよく分かる。
四国の山地では深く急な谷の脇を道が通っていて、ちょっと平らな谷に集落ができたり、斜面に家を建てる程度で、基本的に人の領域ではない感じがする。
しかし中国山地では、山地といっても緩やかに上ったり下がったりして、谷でなくても道は通せるし、東城のように平らな盆地や高原に町ができる。
単純に山登りの時に急だ、緩やかだ、というだけでなく、もっと大きなスケールでも両者の違いは感じられるのだ。
これはなかなか、歩いていて面白い。
平地だけを旅していては、気付けなかったことだろう。
例によって小バエに集られながら東城に向かって歩いていると、すぐ横に車が止まる。
「乗せてこか?」
爺さんが言ってくれたが、車には乗れないので断った。
それからしばらくして、前方の路肩に停まった車から出てきたおばちゃんから声がかかった。
「どこから来たん?」
「奈良です」
「奈良あ!? それで、どこに帰んの?」
「日本一周して、奈良に帰ります」
「え。いいんですか」
最近、マックが食べたいと思っていたのだ。
まるで神が取り計らったかのようなタイミング。
しかもバーガーの他、ポテトまで出してくれる。
「ルイボスティーあるけど、お腹痛なったらあかんか」
「るいぼすてぃー?」
ルイボスという茶葉があるのか?
そんなお洒落な飲料は知らないぞ。
「ジャスミンティー飲む?」
それは知ってる。
「はい。ありがとうございます」
「あとパンも食べる?」
「ありがとうございます。欲しいです」
「これ、無印で半額やったやつやけえ」
コアラパンなるコアラ型の小さなパンがたくさん入っている。
「持てるか?」
「もうここで食べていきます」
「そう。ごめんな、何もなくて」
「いやいやいや、こんなにもらって、ありがとうございます」
「うん。じゃあ、頑張ってな」
「はい。ありがとうございます」
なんという幸運。
路肩に座り込んで山マック。
月見バーガーうめえ。ポテトもうめえ。
あまりに嬉しいので、その場でオカリナを吹いた。
いやあ、帝釈峡はボーナスステージだな。
本当によく声をかけられる。
これほど声をかけられたのは初めてだな。
……ん?
その時ふと、思い浮かぶことがあった。
ひょっとしてこれって、僕が今3週間風呂に入っていないことと関係ある?
3週間風呂に入らず歩き続けている僕は、傍から見てある種の感慨を抱かせるような見た目―そう、例えば同情とか―をしていて、だからここ数日よく声をかけられるのではないか。
いや。いやいやいや、関係ないだろう。
この辺りの人が優しいだけだ。
道の駅に着いた。
産直市場でできるだけ安い野菜を吟味しながら選んでレジへ持っていった。
会計してもらう間、レジ前に大判焼きが半額で売っていた。
70円と書いてある。
大判焼きは白い紙袋に2個から3個入っている。
「あの、これって何個か入ってるんですか?」
「はい。あんこの方は3個、カスタードは2個ですね」
「1個70円ですよね」
「はい。1個70円です」
「つまり2個入りで140円」
「そうです。…1個ずつバラ売りすることもできますよ」
「………いえ、やめときます」
今日は色々もらったし、いくら安いと言ってもおやつを買うのはやめておこう。
2個入りで70円だったらさすがに話は違っていたけれど。
「あんことカスタード、どっちが好きですか?」
「ん〜、どっちも好きですね」
世間話かと思って答えると、
「じゃあ、これどうぞ」
なんとカスタードの大判焼き2個入りをくれた。
「ええ? いいんですか?」
「はい、どうぞ」
お兄さんは口元に指を立ててないしょのポーズをしながら言う。
「いや、さすがに70円は払いますよ」
「いや、いいんです。どうぞどうぞ」
「ええ? ありがとうございます」
半額だったし、たぶん30分後、この店が閉まったら廃棄か店員の持ち帰りになる分だったのだろうけれど、それでも客にあげるなんてもちろんいけないはずで、それでもお兄さんはないしょでくれたのだった。
ザックを背負っていなかったから、僕が日本一周しているどころか、旅人であることすら分からなかったはずである。
僕の見た目とは関係なく親切にしてくれたということになる。
……とは限らない…か?
もしも僕の見た目が、ザックの有無なんて問題にならないほど、汚いというか、惨めというか、良く言えば応援したくなるようなものだとすればどうだろう?
お兄さんはその僕がぶつぶつ独り言を言いながら安い野菜だけを吟味して買い、70円が払えなくて大判焼きを諦めたところを見て、何か感じ入るものがあったのではないか。
いや、そうでもないとお兄さんがただで大判焼きをくれた理由が謎である。
え、僕ってそんな見た目ひどいかな?
じゃあやっぱりここ数日色んな人に声を掛けられるのって…。
ひょっとしてそういうことだったのか?
トイレに行った時、鏡で自分の姿を改めてよく見てみた。
半袖Tシャツに、長ズボン。
よく日焼けしている。
無精髭あり。髪は整ってはいないが、髪質的にぼさぼさって感じでもない。多少油はのってるかも。
Tシャツはへそから下辺りが特に汚れているが、全体として汚い。
ズボンは炭やその他色々でもっと汚い。
よく汚れた手を服で拭くからだ。
ん〜、変かな?
でもこういう人いるよね?
もうちょっと見方を変えてみるか。
全体的に、そうだな、汚えな。
どこが、というのではなく全体的に。
旅人という感じだ。
具体的に言えば最後に風呂入ったのいつ?って感じだ。
3週間前と聞けば、ああ、そういう感じだよね、となる見た目をしている。
うん、これけっこう汚いかもしれない。
においとか、全然感じないけど、臭いのかな、やっぱり。
遠くから見ても分かるもんなのかな?
このまま風呂に入らずにいけば、ボーナスステージがまだ続くのではないかと思わなかったと言えば嘘になる。
しかし人の善意を利用するためにわざと風呂に入らないというのは、いただけない。
ハエもうっとおしいし、明日あたり、風呂に入ろう。
ちなみに小バエのことがなくて、気持ち的にまだ風呂に入らずとも歩けそうかと言えば、全然まだまだいける。
歩いた距離:26km