呉には見ておくべき場所がまだ多そうだったので、今日は一日観光することにした。
まずは8km弱歩いて旧高烏砲台へ向かう。
途中、アレイからすこじま公園というところに寄った。
砲台。海賊船にありそうな無骨な黒が良い。
呉に現存する最古のクレーン。
呉海軍工廠時代には魚雷の積み上げなどに利用されたらしい。
海上自衛隊の潜水艦。
海上自衛隊呉地方隊がある。
旧高烏砲台
旧高烏砲台は山の上にある。瀬戸内海がよく見下ろせて景色が良い。
砲台のある場所はここよりさらに海が近いが、今は草木が繁茂していて見通しが悪い。
すべて同じものを別の角度から撮ったものだ。
大きな穴の部分から大砲を出して海上の敵を狙ったのだろう。
戦艦大和の主砲で最大射程が42000mだから、固定砲台でもここから見渡す限りの海に大砲を撃ち込めたはずだ。
屋根や、宿舎、他の建物は空襲で壊れてしまっても、この砲台の壁だけは当時のまま残っている。
僕はサバゲーもFPSもやらないが、無性に銃を抱えて走り回りたい気分になった。
走る勢いのまま穴を飛び越え通り抜け、すぐさま壁に背をつけて隠れる。銃弾が壁に弾かれる振動が背を伝わってくる。姿勢を低くして移動し、別の穴から銃身を出して敵に狙いを済まし――
馬鹿だなぁ、僕。
ここは固定砲台似合った場所であり、そういう場所でもないんだが……。
しかしこう、古代遺跡、というほど昔のものではないが、どことなくロマンを感じる外観の構造物だ。
2枚目の写真の、ちょっと自然の木がかかっている感じがまた良い。
かつては殺伐とした戦場の空気が張り詰めていたであろうこの場所も、今は緑の草が生き生きと繁茂していて、子供のかくれんぼに最適な地となっている。
遺跡のロマンは、何気ない自然物に埋もれかけているところにあると思う。
完全に埋もれてしまっては容易にアクセスできないし、それはそれでロマンがあるが、また雰囲気が変わる。
とはいえ、整備されすぎて周りに草木の一本もないと、過ぎ去った時間の風情を感じることができない。
かつて戦争のために作られた高烏砲台は今、日の降り注ぐのどかな公園の一角に、平和な空気と調和してたたずんでいる。
平清盛像。あったので一応。
昨日、野田洋次郎のオールナイトニッポンで、印象に残っている話がある。
海外でたくさんライブをしてきて、改めて日本でのライブで良いところは、「撮影しないで」と言うと、みんな素直に撮影をやめてくれるところだという。
海外では聞いてくれない人も多いし、北米でライブをした時に、その時は禁止とは言っていなかったけれど、観客のほとんど全員がスマホをこちらに向けて動画を撮っていて、誰も今この瞬間を見てくれていない。
その悲しさで、一瞬声が出なくなって、後ろを向いてしまったと話していた。
僕はアーティストのライブに行ったことはないけれど、カメラでの記録行為が、生、今、といった一番重要な瞬間を薄れさせてしまうことは経験がある。
どこかに何かを見に、時間をかけて行くのだけど、いざそこについたら、「おお」と一瞬だけ肉眼で見て、それからいそいそとスマホやカメラを取り出し、いろんな角度から写真を撮る。
満足できる写真が撮れたら、なんだかもう目的を達成したような気になって、さあ行こうか、となってしまう。
こんなことは誰しも一度はあるのではないだろうか。
僕も恥ずかしながら経験がある。
写真ならプロが撮ったものをいくらでもネットで見られるのにそこに実際に行くのは、生で見て体感するためだ。
それなのにいざ行くと、写真を撮るのは必須のような気がする。
そしていつの間にか目的が生で見ることではなく写真を撮ることにすり替わっているのだ。
これでは何のために来たのか分からない。
写真を撮るな、とまでは言えないが、あくまで写真は記録と捉えて、生で体感することを重視すべきだ。
など考えながら帰路についた。
昼食
市民広場に戻って昼食にした。
今日は暑かったためだろう、ご飯が何らかの菌の増殖で糸を引いていた。
納豆のように、米を箸で動かすと糸を引く。
納豆菌だろうか。
この現象は初めてではない。
この夏何度も経験した。
どうも、南蛮漬けや煮浸しの汁を米にかけ、暑い中放って置くとこうなるようだ。
醤油に原因があると見ている。
味は微妙……というかあまり味はしないのだが、心なしか醤油味が薄くなっていて、無味の粘り気があるせいであまり美味しくない。
しかしこれでお腹を壊したこともないので食べる。
うん、美味しくない。
艦艇
午後からも観光を満喫した。
ちょうど間の良いことに、今年は自衛隊呉地方隊の70周年記念で、土日にだけ艦艇の一般公開がされていた。
生の艦艇を無料で見ることができる。
これは行かねばと行ってみると、想像以上に興奮した。
まずは潜水艦だ。
目の前に浮かぶ潜水艦は重々しく、じっとして動かない。
波に揺られることもなく静かに佇んでいた。
なんと潜水艦の上に乗ることもできた。
一生に一度あるかないかの貴重な体験である。
続いてこちらは海上自衛隊が使っている艦艇の一つ。
名前は忘れたが、立派な船だ。
軍用の船をまじまじと近くで見られることはそうない。
そしてこれ。どどん!
加賀。
第一航空艦隊、通称『一航戦』の航空母艦加賀。
これは艦隊系のゲームをやっている人ならおなじみの戦場の華形だ。
一航戦の赤城、加賀と言えばゲームをやっているだけでもその強さが伝わってくる。
さらに個人的には艦これで一番好きな艦娘が加賀だった。
まさか間近で見られる日が来るとは思いもしていなかった。
ハイテンションでパシャパシャ激写しまくった。
なお、周囲には同じような人がいるので浮かない。
『えたじま』については、中に入らせてもらえた。
船に乗り込んで、見て回るのが楽しくて仕方ない。
内部の機械なども見せてもらえた。
何をどう動かせばどうなるのかはよく分からない。
無料とは思えない楽しい時間だった。
中でも加賀を目の前で見られたのは嬉しかった。
入船山記念館
続いて入船山記念館では、呉海軍工廠時代の遺物が見られた。
呉海軍工廠塔時計。
午前中に見た高烏砲台の火薬庫。
旧呉鎮守府司令長官官舎。
こちらは内部にも入ることができた。
和洋折衷。
基本的には畳の和室と木の廊下で、迷いそうに大きい屋敷なのだが、いくつかの部屋が洋風でとても美しい。
これは客間。最も重要な部屋らしい。
ソファはふっかふかなんだろうなあ。
てつのくじら館
次に向かったのはてつのくじら館という潜水艦の展示館。
入館無料。
入口に見える巨大な潜水艦は実際に使われている潜水艦『あきしお』で、中に入ることもできる。
潜水艦の説明や展示も面白かったが、僕はここの特別展示に興味があってきたのだ。
それは砕氷船『しらせ』。
南極へ人を運ぶ船だ。
実際に砕氷船が来ているわけではなかったけれど、その展示や、ビデオで流される『しらせ』とそこに乗る人たちの様子は胸を熱くさせた。
ああ、南極行きてえ。
アニメ『宇宙よりも遠い場所』を思い出した。
主人公の一人の名前がしらせなのだ。
砕氷船『しらせ』の名前の由来は、日本人初南極へ行った人の苗字にある。
砕氷船『しらせ』の運転やその他様々な仕事は海上自衛隊に任されている。
もちろんその他、研究者をはじめとして様々な立場の人が乗る。
『しらせ』に乗ることを志願した自衛隊員への質問シートと回答などもあり、自衛隊員になって南極に行くのもいいなあ、と思った。
まあ、思うだけなんだけど。
熱いなあ。南極が熱い。
最後に訪れたのは大和ミュージアム。
戦艦大和だけでなく、様々な艦船や世界大戦の歴史について学べる場所だ。
戦艦大和の巨大な模型がある。
名前だけは知っている数々の艦船の模型も置いてある。
また、神風特攻隊の零戦や人間魚雷と呼ばれた回天などについても説明とともに実物が展示されていた。
第二次世界大戦の終盤、追い詰められた日本が用いた回天は、当時レーダーなどが主流だった魚雷に対し、人間が中に入って操縦し、敵艦隊にぶつけて爆破するという必死の攻撃だった。
そこには、回天に乗ることが決まった青年が家族へ送った手紙、また、ボイスメッセージが聞けるようにもなっていた。
修学旅行で学んできた浅い知識では、こうした特攻の犠牲になった青年はやりたくないのに上からの命令でやらされた、という印象があった。
とにかく、当時の日本軍の判断ややり方は悪かったと教えられた覚えがある。
だが、回天については、兵士の方が考案して上に提出し、一度は必死の攻撃はしないという慣例の元却下されている。
それが追い詰められて、後に通った。
しかも全てかは分からないが、回天の兵士は志願兵だったように書かれていた。
特にボイスメッセージの青年については、長男であることを理由に一度志願を却下されているのに、弟がいるから構いません、と食い下がって回天に乗ることが決まった、とある。
死ぬことが決まっているのに自ら志願する人なんているわけがない、とは思わない。
むしろそういう状況になった時、命を投げ打って志願するのは、青年だからこそできるような気もする。
当時の日本軍がどれだけ追い詰められていたのか、青年のメッセージから伝わってきた。
しかし当時の日本はほとんどすべてを投げ打って戦争に勝ちにいっていた。
敗けを認めて戦争を終わらせるのは容易ではなかっただろう。
当時の判断が間違っていたと簡単に批判できるものなのか僕には分からない。
とにかく、二度と日本で戦争を起こしてはならないとだけ思う。
今日はひたすら観光しただけだったが、これはこれで実りのある一日だった。
明日は広島に行く。
広島でも観光することになると思う。
お好み焼きも食べたいが、高そうだったら自分で作るつもりだ。
ボウルが無いので作業が面倒そうだが、できなくはないだろう。
しかしまあ、本場のお好み焼きぐらい店で食べたいものだ。
歩いた距離:21km