歩いて日本一周ブログ

歩いて日本一周する記録とか雑記

山口へ

疲労

朝起きると脚にアリがよじ登る感覚がして捕まえて放り投げた。

腕にもよじ登る感覚。

こういう時はテントにたくさんのアリが侵入しているのだ。

どこかと探してみた。


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うわ。いっぱいいる。

さすがにもう慣れてきたし、朝は比較的涼しかったこともあり、ダメージはあまり受けない。

テント内が暑いと相乗効果で些細なことも許せなくなるのだ。

 

食パンを買ってきて食べ、荷物を出してアリを追い出し、出発の準備をする頃には日が昇っていてひどく暑かった。

 

歩いていると、やけに疲れていた。

一昨日の広島では、観光などで歩き回ったとはいえ、ザックはおいて一日休みだったのに、もう疲れが。

原因は気温にあるだろう。

やはり暑いと疲れる。

 

 

スーパーカップずんだ

最近ずっと気になっていたスーパーカップの新作ずんだ味を買うことにした。

午後スーパーで買い、イートインでちびちび食べた。

美味い。

130円のラクトアイスがこの美味さか。

500円でソフトクリームを買うのがもったいなく感じるな。

コスパ良し。

 

アイスで気分は回復したものの、身体のあちこちに小さな問題が起きて、歩きたくないなぁ、と思いながらなんとか海岸公園まで来た。

今日は山口に入ったので、ここからは釣り旅だ。

しかし歩き疲れたので到底釣りをする気など起きない。

海岸を歩いてみるとマガキがたくさんいる。

うん。こいつをとるか。

マイナスドライバーでカキの蓋を開け、中身だけ取り出していく。

潮が満ちてきてたくさんはとれなかった。


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カキを生で食えるのはrの付く月だけ、9月はSeptemberでrがつくのだが、この地球温暖化の現代にこの基準が通用するかは怪しい。

それこそ牡蠣の産地の広島を歩いてきたわけだが、あまり生牡蠣の売出しは見かけなかった。

焼くことにしよう。

 

今日は焼きそばと味噌汁と牡蠣の醤油焼き。

はぁ、疲れた。

薪を集める気力もないので、海岸あるけどコンロ使おう。

明日歩けるかなぁ。


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歩いた距離:28km

廿日市

熱暑

連日暑い日が続いている。

こう暑いと疲れやすくもなる。

さっさと気温が下がればいいのに。

そう思いながら歩いた。

廿日市市に来て、昼食。

特筆すべきことはなにもない。

 

午後からもただ歩いた。

そういえば最近、食べ物は買ってばかりで自分でとるということをしていない。

これは怠惰だ。

金も使う。

九州へ向かう山口の道は海岸沿いを通るつもりだし、道中行きたい所もあまりない。

そこで山口では毎日釣りして夕食のおかずをゲットしようと思う。

山口市だけは中心部が少し内陸の盆地にあるので、そこでは無理かもしれないが、基本釣りをする。

節約にもなるし、漫然とした歩き旅になることを防げるだろう。

 

狙うのは、まあ食べられれば何でもいい。

僕は自分の釣りの実力を過信していない。

というかはっきり言って下手なので、釣りやすそうなのを狙う。

雑魚も食べる。

涼しくなってきたらモクズガニも狙ってみるか。

まだ暑いからテナガエビはまだシーズンかな。

テナガエビも結局本格的にとらなかったな。

真夜中は大体寝てるからわざわざ起きてやろうと思わないんだよなぁ。

とれても時間帯的に夕食にしづらいし。

 

 

臨海公園

この辺り、良い感じの浜が全然ない

人工護岸の臨海公園ぐらいしかないのでそこでテント泊にする。

釣りもできるそうだ。

暑いから涼しくなってからやりたいのだが、最近は夜も暑いから涼しくなるのは早くとも深夜0時を過ぎてからになる。

さすがにそれまで起きていない。

あー、本当に早く涼しくならないかな。

 

臨海公園に来ると、『たき火、バーベキュー、花火など火気の使用禁止』と書かれていた。

ペットの散歩も禁止されていた。

何のための臨海公園なんだ。

禁止禁止とうるさくすると人の心は荒んでいくというのに。

 

まあ、火気といっても僕がやるのはただ淡々と夕食を作るだけだ。

燃え移ることもないし、ゴミも出ないし、騒がしくもしない。

大体火気の使用が禁止されるのは上記3つの理由からなので、本質的には僕がここで誰にもバレずにドラゴンフライで夕食を作ったところで問題はない。

だからこっそりやってしまおうと最初は思ったのだが、至るところに執拗なまでに火気の使用が禁止されており、もうそれは火をつけた瞬間公園内に充満している引火性のガスが大爆発を起こすかのような徹底ぶりであった。

ここまで徹底的にやられると見つかった時に『気づかなかった』なんて言い訳のしようもないし、さすがにやめておくことにした。

一体どうしたというのだ。

何がそこまでさせるのか。

いいじゃないか別に。ちょっと火を使っても。

 

堤防の真下は貝類や藻が付いた石だたみが露出していて、海面は少し先にある。

そこも浅く、深くなるのはさらに先なので投げる釣りしかできず、根掛かりしやすそうだ。

さらに火も使えないと来た。

なんかもう釣りする気なくなったな……。

コンビニでカップ麺買って昨日の紅生姜かけて食うか。

それまで暇だからオカリナでも吹くか。

最近歩いてばかりで吹いてないから、忘れてるかもしれない。

 

 

歩いた距離:26km

平和記念公園

熱帯夜

昨夜は本当に暑かった。

朝もすぐ暑くなり、テントは入口を開けないとやっていられない。

しかし開けると大量の蚊が入ってくる。

テントをたたむのも億劫で、そのままにしておくことにした。

どうもこの近くに岸田総理が住んでいるとかで常に警官が巡回しているのが面倒だが、まあいいや。

どこにもテント禁止とは書かれていないし、邪魔になる場所でもない。

 

 

平和記念公園

平和記念公園に向かった。

以前行ったのは小6の時だから、12年前か。

ちょうど今の年齢の半分の時だ。

使い捨てカメラを始めて買って、パシャパシャやっていたのを思い出した。


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郵便ポスト。

 

平和記念公園の光景は記憶にあるものと随分違っているように見えた。

視点が高くなったのもあるかもしれない。

当時は地図なんて意識して歩いていなかったから、どこに何があって、今自分がどこにいるかもまったくわかっておらず、目の前の光景だけがリアルだった。

断片的な光景の記憶は、改めて見る実際の光景と随分違う。


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原爆ドーム

朝日に照らされて、とても平和な空気だ。

小学生の時は、何か神妙な空気感で臨まなければならないという向きがあった。

小学生の僕がその空気感をどれほど持続できたかは不明だが、とにかく感じたままに、思うままに見るというより、神妙で真面目な雰囲気に努めなければならないと思いながら歩いていた記憶がある。

学校の先生がそういう風に誘導したのだろう。

学校の先生というのは、とかく、自分でもよく分かっていない『倫理』というやつを努めて子供に押し付けようとするものだ。

まあ、所構わずはしゃぎだす小学生を相手にするならそれぐらいがちょうどいいのかもしれない。

 

改めて自然な気持ちで見る平和記念公園は、ただひたすらに平和な空気に包まれていた。

明るく落ち着く公園で、さえずる鳥がよく似合う場所だ。

原爆ドームについていえば、その内部に草が生えていたりして、とても良い雰囲気。f:id:tabiroad:20240916094313j:image


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凄惨な原子爆弾の悲劇を忘れないために残された遺物と認識していたけれど、自然な気持ちで眺めると、むしろ凄惨な悲劇は終わり、今ここには平和な空気が流れていることを象徴するように思える。

原爆死没者慰霊碑の下の石碑には、『安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから』と刻まれていた。

原爆ドームを含め、平和記念公園全体が、この言葉の通り、慰霊と平和の象徴のためにあるように感じられた。

 

 

平和記念資料館

平和記念公園とは打って変わって、資料館の方は凄惨な記憶を残し、現在に伝えていた。

小学生の時は神妙な顔を維持しなければ、との思いが強く、心の中では「なんじゃこりゃ」「うわっ、すげぇ」「ボロボロ……」などと子供らしい雑な感想を持ちながら、表面上神妙にしていた気がする。

今、あれから12年経って、一つ一つ展示物やその説明、関係者の言葉などを読んでいると、僕は気分が悪くなった。

少し嘔吐感を催したほどだ。

公園とのギャップが凄まじい。

地獄のような原爆の記憶が、本人達の言葉によりリアルに伝わってきて、正直早く出たいと思いながら、全部読みながら進んだ。

館内は暗くなっており、それも重い空気感に拍車をかけていた。

展示を見終えると、廊下の先が明るくなり、そこに出ると大きな窓から平和記念公園の様子が見えた。

そこにはたくさんの長椅子が並んでいて、みんな安心したように座っていた。

僕も端の方の椅子に座って、平和記念公園を眺めることで落ち着いていった。

 

体験者の言葉というのは、リアルに伝わってきてしまうから、平静を保ちにくい。

大学の探検部にいた時、ある沢登りの企画を立てた。

昔そこで当時の探検部員が亡くなっているらしいので、安全対策のためその報告書を読んだことがある。

それは事故が終わった後、後の探検部に反省を残すためにその場にいた探検部員達が書いたものだった。

それぞれの視点で事故時のことが語られていた。

あまりにもリアルで、自分たちに照らし合わせてみてもありそうなことだったから、正直どんなホラーより怖かった。

ゾッとした。

記録や、遺物を見るだけでは伝わってこないことが、人の言葉によってリアルに伝わるということを実感した。

 

 

漫画図書館

午後からは漫画図書館で漫画を読んでいた。

読んだのは『ふらいんぐうぃっち』。

日本の一般的な田舎暮らしに紛れた魔女とその周囲をコミカルに描く日常系漫画だ。

いつ読んでも幸せになれるので、電子で全部買ってスマホに入れておこうかとも思っている作品だ。

日常系が好きな人は是非。

読んでる感覚としては『よつばと』に近い。

 

漫画図書館はそれほど大きくないのだが、子供から大人まで大人気で、少々人口密度が高かった。

まあ無料でこんな施設があったらみんな来るだろう。

京都のマンガミュージアムはもっと広かったが、そちらは有料だった。

 

 

夕食の食材を買いにスーパーに繰り出したが、どれもこれも高い。

僕の買う基準を満たすものが極端に少なかったので、カップ麺にしてしまおうかと考えた。

しかし今は火が使える状況なので、それなら乾麺のほうが安い。

300円で5食入りの焼きそばを買った。

ただの焼きそばではつまらないのでアレンジすることに。

四階に大きなダイソーがあったので、そこで紅生姜とマヨネーズ、それにポテトチップスを買った。

ポテチを砕いて焼きそばにかけ、そこにマヨをかけて紅生姜を添えるのだ。

完全に食欲に支配されたカロリー志向のメニューである。

その時はこんな美味しそうなものを考えつくなんて僕は天才ではないだろうかと思った。

 

いざ、3食分の焼きそばを作り、まずは紅生姜と食べる。美味い。

次にマヨ。美味い。

ポテチとマヨ。美味い……のか?

そもそも、フライパンで1食ずつ作るはずのものを鍋で3倍量の水で3食一気に作ったことで、焼きそば自体の出来も若干悪かった。

食べ終わるとちょっと胃もたれした。

想像していたより美味しくなかったな……。

しかも別に安くもない。

うーむ……僕は天才ではないかもしれない。

 

明日からは山口に向けて歩く。

秋吉台や山口の最高峰などは九州から帰ってきた時に行くつもりなので、今回は海沿いを歩いていくことになるだろうか。

いざ行ってみると観光案内所で良さげな場所が見つかったりするので、まだ分からないけれど。

明日は廿日市市辺りまでだろうか。

最近漫然と歩くだけになっている気がする。

何か楽しいこと考えないとな。

 

 

歩いた距離:6km

広島へ

30kmウォーク

呉を出発してすぐ、トンネルの手前で大きな集団に出くわした。

百人を超えると思われる人達で、一様に数字の書かれたゼッケンを下げている。

手前の信号で2つに分裂したが、それでも長い。

僕は信号を渡ってその集団の間に入る形となった。

近くのおっちゃんに、これは何の催しかと尋ねると、呉から広島市街までの30kmを歩く企画らしい。

老若男女様々な人が参加しているようだ。

まだ歩き始めたばかりだそうで、みんな表情は明るかった。

 

スタートしてすぐだからか、みんな歩くペースが早く、狭いトンネルの中で僕は止まることもできずにペースをあわせなければならなかった。

トンネルを抜けてコンビニで集団から離脱したが、この辺りで集団もバラけ始めた。

コンビニによる人もいる。

呉から広島市街に行くルートは、ここまで来てしまうと一つなので、この先この集団の中を歩かなければならない。

前にいても後ろにいてもなんだか自分のペースが乱されるような気がして嫌だったので、できるだけ車道を挟んで反対側を歩いた。

彼らはどこで横断歩道を渡るかまで厳密に決められているようで、片方にしかいないのだ。

彼らに触発されて、僕もそろそろ歩くペースを上げようか、一日に歩く距離が伸ばしていこうかとペースを早めたが、そのせいで無駄に疲れたのでやめた。

自分のペースで行こう。

毎日歩いてたらそのうち歩く距離も伸びていくだろ。

 

 

広島

広島市街に着いた。

比治山公園というところにザックを下ろした。

この周辺には、現代美術館、漫画図書館の他、大型のイオンとエスカレーターでつながっている。

非常に便利で暇つぶしにも困らない。

漫画図書館とイオンにはフリーWiFiもある。

 

とりあえず漫画図書館に行くと、無料である。

のだめカンタービレの続きを読みたかったが、借りられているのか紛失したのか、飛び飛びで2冊しかなかった。

イオンに米を買いに行ったが、一つもない。

その後、周辺のスーパー、ドラッグストアを巡って米を探したが、在庫切れのところも多く、あっても値段が高騰していた。

2000円で買っていた米が、3000円である。

これは看過できないので、比較的安いタイ米を買った。それでも2500円だった。

 

お好み焼きの店は、やはり高い。

1枚で1000円弱する。

1枚食べて終わりならそれほど高いとは思わないが、1枚で腹がふくれるはずがない。

これなら大盛りラーメンを食べたほうが満足度のコスパは高いだろう。

しかしお好み焼きの代わりにラーメンを食べるくらいなら外食などしなくていい。

自分でお好み焼きを作ることも考えたが、問題は材料が余ることにある。

余った材料が食料袋を圧迫するのは困る。

かと言って連日お好み焼きは面倒だし、朝昼の食事を作れないのも問題になる。

そして飽きる。

なんだかもう広島でお好み焼きを食べなくてもいい気がしてきた。

小学生の時修学旅行で来て食べたし、実家でも父が広島風お好焼きを作ってくれたから珍しいものでもない。

 

明日は観光に加えて、今後の予定を考える日にする。

それにしても暑くて仕方がない。

最近の夜は真夏と変わらない。

暑くて仕方がないが、扉を開けっ放しにすると蚊が入ってくる。

テントの中は最悪の暑さで、汗だくだくだ。

早く気温下がれ。

 

 

歩いた距離:30km

 

呉観光

アレイからすこじま公園

呉には見ておくべき場所がまだ多そうだったので、今日は一日観光することにした。

まずは8km弱歩いて旧高烏砲台へ向かう。

途中、アレイからすこじま公園というところに寄った。


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砲台。海賊船にありそうな無骨な黒が良い。


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呉に現存する最古のクレーン。

海軍工廠時代には魚雷の積み上げなどに利用されたらしい。


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海上自衛隊の潜水艦。

海上自衛隊呉地方隊がある。

 

 

旧高烏砲台

旧高烏砲台は山の上にある。瀬戸内海がよく見下ろせて景色が良い。


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砲台のある場所はここよりさらに海が近いが、今は草木が繁茂していて見通しが悪い。


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すべて同じものを別の角度から撮ったものだ。

大きな穴の部分から大砲を出して海上の敵を狙ったのだろう。

戦艦大和の主砲で最大射程が42000mだから、固定砲台でもここから見渡す限りの海に大砲を撃ち込めたはずだ。

屋根や、宿舎、他の建物は空襲で壊れてしまっても、この砲台の壁だけは当時のまま残っている。

僕はサバゲーFPSもやらないが、無性に銃を抱えて走り回りたい気分になった。

走る勢いのまま穴を飛び越え通り抜け、すぐさま壁に背をつけて隠れる。銃弾が壁に弾かれる振動が背を伝わってくる。姿勢を低くして移動し、別の穴から銃身を出して敵に狙いを済まし――

馬鹿だなぁ、僕。

ここは固定砲台似合った場所であり、そういう場所でもないんだが……。

 

しかしこう、古代遺跡、というほど昔のものではないが、どことなくロマンを感じる外観の構造物だ。

2枚目の写真の、ちょっと自然の木がかかっている感じがまた良い。

かつては殺伐とした戦場の空気が張り詰めていたであろうこの場所も、今は緑の草が生き生きと繁茂していて、子供のかくれんぼに最適な地となっている。

遺跡のロマンは、何気ない自然物に埋もれかけているところにあると思う。

完全に埋もれてしまっては容易にアクセスできないし、それはそれでロマンがあるが、また雰囲気が変わる。

とはいえ、整備されすぎて周りに草木の一本もないと、過ぎ去った時間の風情を感じることができない。

かつて戦争のために作られた高烏砲台は今、日の降り注ぐのどかな公園の一角に、平和な空気と調和してたたずんでいる。


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平清盛像。あったので一応。

 

昨日、野田洋次郎オールナイトニッポンで、印象に残っている話がある。

海外でたくさんライブをしてきて、改めて日本でのライブで良いところは、「撮影しないで」と言うと、みんな素直に撮影をやめてくれるところだという。

海外では聞いてくれない人も多いし、北米でライブをした時に、その時は禁止とは言っていなかったけれど、観客のほとんど全員がスマホをこちらに向けて動画を撮っていて、誰も今この瞬間を見てくれていない。

その悲しさで、一瞬声が出なくなって、後ろを向いてしまったと話していた。

 

僕はアーティストのライブに行ったことはないけれど、カメラでの記録行為が、生、今、といった一番重要な瞬間を薄れさせてしまうことは経験がある。

どこかに何かを見に、時間をかけて行くのだけど、いざそこについたら、「おお」と一瞬だけ肉眼で見て、それからいそいそとスマホやカメラを取り出し、いろんな角度から写真を撮る。

満足できる写真が撮れたら、なんだかもう目的を達成したような気になって、さあ行こうか、となってしまう。

こんなことは誰しも一度はあるのではないだろうか。

僕も恥ずかしながら経験がある。

写真ならプロが撮ったものをいくらでもネットで見られるのにそこに実際に行くのは、生で見て体感するためだ。

それなのにいざ行くと、写真を撮るのは必須のような気がする。

そしていつの間にか目的が生で見ることではなく写真を撮ることにすり替わっているのだ。

これでは何のために来たのか分からない。

写真を撮るな、とまでは言えないが、あくまで写真は記録と捉えて、生で体感することを重視すべきだ。

など考えながら帰路についた。

 

 

昼食

市民広場に戻って昼食にした。

今日は暑かったためだろう、ご飯が何らかの菌の増殖で糸を引いていた。


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納豆のように、米を箸で動かすと糸を引く。

納豆菌だろうか。

この現象は初めてではない。

この夏何度も経験した。

どうも、南蛮漬けや煮浸しの汁を米にかけ、暑い中放って置くとこうなるようだ。

醤油に原因があると見ている。

 

味は微妙……というかあまり味はしないのだが、心なしか醤油味が薄くなっていて、無味の粘り気があるせいであまり美味しくない。

しかしこれでお腹を壊したこともないので食べる。

うん、美味しくない。

 

 

艦艇

午後からも観光を満喫した。

ちょうど間の良いことに、今年は自衛隊呉地方隊の70周年記念で、土日にだけ艦艇の一般公開がされていた。

生の艦艇を無料で見ることができる。

これは行かねばと行ってみると、想像以上に興奮した。


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まずは潜水艦だ。

目の前に浮かぶ潜水艦は重々しく、じっとして動かない。

波に揺られることもなく静かに佇んでいた。

なんと潜水艦の上に乗ることもできた。

一生に一度あるかないかの貴重な体験である。



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続いてこちらは海上自衛隊が使っている艦艇の一つ。

名前は忘れたが、立派な船だ。

軍用の船をまじまじと近くで見られることはそうない。


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そしてこれ。どどん!

加賀。

第一航空艦隊、通称『一航戦』の航空母艦加賀。

これは艦隊系のゲームをやっている人ならおなじみの戦場の華形だ。

一航戦の赤城、加賀と言えばゲームをやっているだけでもその強さが伝わってくる。

さらに個人的には艦これで一番好きな艦娘が加賀だった。

まさか間近で見られる日が来るとは思いもしていなかった。

ハイテンションでパシャパシャ激写しまくった。

なお、周囲には同じような人がいるので浮かない。


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『えたじま』については、中に入らせてもらえた。

船に乗り込んで、見て回るのが楽しくて仕方ない。


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内部の機械なども見せてもらえた。

何をどう動かせばどうなるのかはよく分からない。

無料とは思えない楽しい時間だった。

中でも加賀を目の前で見られたのは嬉しかった。

 

 

入船山記念館

続いて入船山記念館では、呉海軍工廠時代の遺物が見られた。


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海軍工廠塔時計。


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午前中に見た高烏砲台の火薬庫。


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旧呉鎮守府司令長官官舎。

こちらは内部にも入ることができた。

和洋折衷。

基本的には畳の和室と木の廊下で、迷いそうに大きい屋敷なのだが、いくつかの部屋が洋風でとても美しい。


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これは客間。最も重要な部屋らしい。

ソファはふっかふかなんだろうなあ。

 

 

てつのくじら館

次に向かったのはてつのくじら館という潜水艦の展示館。

入館無料。


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入口に見える巨大な潜水艦は実際に使われている潜水艦『あきしお』で、中に入ることもできる。

潜水艦の説明や展示も面白かったが、僕はここの特別展示に興味があってきたのだ。

それは砕氷船『しらせ』。

南極へ人を運ぶ船だ。

実際に砕氷船が来ているわけではなかったけれど、その展示や、ビデオで流される『しらせ』とそこに乗る人たちの様子は胸を熱くさせた。

ああ、南極行きてえ。

アニメ『宇宙よりも遠い場所』を思い出した。

主人公の一人の名前がしらせなのだ。

砕氷船『しらせ』の名前の由来は、日本人初南極へ行った人の苗字にある。


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砕氷船『しらせ』の運転やその他様々な仕事は海上自衛隊に任されている。

もちろんその他、研究者をはじめとして様々な立場の人が乗る。

『しらせ』に乗ることを志願した自衛隊員への質問シートと回答などもあり、自衛隊員になって南極に行くのもいいなあ、と思った。

まあ、思うだけなんだけど。

熱いなあ。南極が熱い。

 

 

大和ミュージアム

最後に訪れたのは大和ミュージアム

戦艦大和だけでなく、様々な艦船や世界大戦の歴史について学べる場所だ。


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戦艦大和の巨大な模型がある。

名前だけは知っている数々の艦船の模型も置いてある。

また、神風特攻隊の零戦や人間魚雷と呼ばれた回天などについても説明とともに実物が展示されていた。

第二次世界大戦の終盤、追い詰められた日本が用いた回天は、当時レーダーなどが主流だった魚雷に対し、人間が中に入って操縦し、敵艦隊にぶつけて爆破するという必死の攻撃だった。

そこには、回天に乗ることが決まった青年が家族へ送った手紙、また、ボイスメッセージが聞けるようにもなっていた。

修学旅行で学んできた浅い知識では、こうした特攻の犠牲になった青年はやりたくないのに上からの命令でやらされた、という印象があった。

とにかく、当時の日本軍の判断ややり方は悪かったと教えられた覚えがある。

だが、回天については、兵士の方が考案して上に提出し、一度は必死の攻撃はしないという慣例の元却下されている。

それが追い詰められて、後に通った。

しかも全てかは分からないが、回天の兵士は志願兵だったように書かれていた。

特にボイスメッセージの青年については、長男であることを理由に一度志願を却下されているのに、弟がいるから構いません、と食い下がって回天に乗ることが決まった、とある。

 

死ぬことが決まっているのに自ら志願する人なんているわけがない、とは思わない。

むしろそういう状況になった時、命を投げ打って志願するのは、青年だからこそできるような気もする。

当時の日本軍がどれだけ追い詰められていたのか、青年のメッセージから伝わってきた。

しかし当時の日本はほとんどすべてを投げ打って戦争に勝ちにいっていた。

敗けを認めて戦争を終わらせるのは容易ではなかっただろう。

当時の判断が間違っていたと簡単に批判できるものなのか僕には分からない。

とにかく、二度と日本で戦争を起こしてはならないとだけ思う。

 

今日はひたすら観光しただけだったが、これはこれで実りのある一日だった。

明日は広島に行く。

広島でも観光することになると思う。

お好み焼きも食べたいが、高そうだったら自分で作るつもりだ。

ボウルが無いので作業が面倒そうだが、できなくはないだろう。

しかしまあ、本場のお好み焼きぐらい店で食べたいものだ。

 

 

歩いた距離:21km

残暑

もう夏も終わりか……なんて余韻に浸っているうちにさっさと秋になってくれれば良いものを、いつまでもズルズル話を引き伸ばして何の価値もない長話を続けるおっちゃんのように、残暑が続く。

連日暑い。

まったく鬱陶しい。

9月はやっぱり夏だな。

 

台風10号の後、確かに気温がガクッと下がった。

しかしその後また気温は上がり、今に至る。

夜も寝袋はいらない。

夏だと了解していれば気にならない暑さも、涼しくなるはずという期待を外すと気分的にきつい。

 

今日は呉に向かってひたすら歩いた。

一日休んだが、それほど疲れはとれていない。

 

 

三次から広島に直接行く道もあったし、むしろそっちの方が道の駅などもあり都合が良かった。

それでもわざわざ田舎道を通って来たのは、ひとえに呉に来るためであった。

呉に何があるのか。

海軍工廠である。

世界大戦時、日本の軍艦を作り出した造船所だ。

正確には呉海軍工廠はもう解体されていて、現在はジャパンマリンユナイテッドという造船所になっているが、呉海軍工廠の名残りや記念碑などはあるだろう。

僕はとあるゲームによって軍艦についての知識をつけてしまったため、日本の軍艦の生まれた場所として呉海軍工廠には興味を抱かずにはいられないのだ。

 

呉について、市民広場にザックを下ろした。

そこから歩いて『歴史の見える丘』に行く。

ここから造船所の様子が見られるのだ。

行ってみると、巨大なクレーンがいくつも並び、ドックに船が入り、また別の場所では巨大な船が作られている途中だった。


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ここはかの戦艦大和が作られた場所である。

近くには記念碑もあった。


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この両側にある2つの先の尖ったものは、戦艦長門戦艦大和の主砲徹甲弾の原寸大模型だ。

驚くべきことに、戦艦大和の主砲徹甲弾の長さは僕の身長を超える。


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長さなんと1m98cm。重さ1t460kg。


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しかも主砲の砲身は21m30cm。

最大射程42000mと書いてある。

こんなもの当てられたらたまったものではない。

 

記念館もあったが、もう閉まってしまっていた。

明日見てから歩こう。

記念館のそばには様々な柄のマンホールがあった。


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広島市では原爆ドームや平和記念館を見ることになるから、ここ数日は観光になる。

考えてみると、広島に原爆が落とされたのは造船所があったからなのだろうか。

いや、だとしたら呉にピンポイントで来ても良いはずだし、情報封鎖はされていただろう。

たまたまなのか……そういうことも、広島に行けばわかるかもしれない。

小学生の頃、修学旅行が広島だったが、あまり知識的なことは覚えていない。

とにかく戦争の悲惨さだけは強く印象付けられた。

 

今日泊まる予定の市民広場は、旧海軍訓練場だったようだ。

今はサッカーのクラブチームが練習し、厳しそうなお父さんと娘さんがピッチング練習し、その他何人かちらほらしている。

良いグラウンドだ。

ただ良い場所過ぎて暗くなっても人が残っているかもしれない。

当然僕はここで夕食を作り、テントを張って寝るつもりだが、文句言われたりしないといいなぁ。

 

 

歩いた距離:33km

論語

ラジオ

久しぶりに一日休むことにした。

朝、洗濯物を手提げ袋に入れ、他に必要な荷物を別の穴の空いた手提げ袋に入れてランドリーに歩く。

ランドリーに着くなり、洗濯物をランドリーにぶち込み、手提げ袋も一緒に入れて回した。

次にコンビニに向かい、朝食を買う。

ちょっと美味しそうな菓子パンなどの誘惑を振り切り、一番安い食パンを買った。

イートインに座ると、コンセントがあったので、しめしめと充電器を取り出そうとするが、見つからない。

袋の中からものを全て出してもない。

思い当たるのはランドリーだけだった。

あっちの袋に入れたのか……。

今頃充電器はランドリーの中でぐるぐる回っていることだろう。

やったなあ。充電できないし。壊れないといいんだが。

 

スマホにイヤホンを差してラジオをかける。

今週はオールナイトニッポンがミュージック・ウィークで、音楽家だけがやる。

七年前にオールナイトニッポンのレギュラーを務めていたらしいバックナンバーのオールナイトニッポンをかけた。

昨日はYOASOBIのオールナイトニッポンを聴いたのだが、めちゃくちゃ面白かった。

曲は聴いてもアーティストのことなんて知らないから、ラジオで話しているのを聞いて、こんな人だったの?と知ると面白かったりする。

Ayaseさんなんかはクールで異質な天才という勝手な印象だったのだが、ラジオでノリ良く喋っていて、自らをコミュ障と自称していたのが、面白かった、と言うか親近感が湧いた。

 

バックナンバーはリスナーからも『イカしてない男子高校生みたい』などと言われている通り、本当に高校生男子の馬鹿なノリそのもので、めっちゃ笑った。

ランドリーが終わる時間が経ったので戻ると、ランドリー入口に充電器が落ちていた。

袋の穴か……。

 

テントに戻る途中、イヤホンで聞くラジオに爆笑していたら、すぐ横を人が通り過ぎた。

傍から見たら一人でいきなり笑い出した人だろう。

まあ僕は気にしない。

人から変な目で見られることには慣れているのだ。

 

 

図書館

図書館で1日過ごすことにした。

まず手に取ったのは論語

昨日は老師だったので今日は孔子を読もうというのだ。

両者はほとんど同じ時代を生きたとされている。

今から約2500年前のことだから、キリストより昔の人だ。

若い頃の孔子が老師に会いに行ったという話もある。

 

論語は、孔子の言葉やその弟子の言葉を集めて書かれたものだ。

孔子の思想は、はっきりと現実的で、一般庶民がどう生きるべきかを考える時に役立つものだった。

老師は、俗世間から離れた聖人であり、その思想や生き方を常人が実践するのは困難な部分があった。

もちろん参考に出来る所は多い。

一方で孔子はより現実的なことを説いている。

論語も大変ためになる内容だったが、これにより僕は随分考えさせられた。

老師は三十にして自立し、四十にして惑わず。

自分の身を立てられるようになった、つまり政治などを教える先生として生計を立てられるようになったのが三十で、自分が生きていく道を定め迷いがなくなったのが四十の時。

孔子は、名誉を求めて努力するべきではないが、懸命に一つのことをやっていけば、四十までに何かを為すところまでいけるはずだ、四十までに何かを為すことを考えて学ぶ、といったことを言っている。

これは孔子が惑わなくなったのが四十だから、ということなのだろうが、どういうわけか僕にはぐっと刺さった。

 

結局のところ、僕は自分がどう生きるか、とう生きるべきかということが、明確ではないのだ。

それをずっと悩み迷っている。

しかしいつまでも迷っているわけにはいかず、やはり三十ぐらいまでには何か生計を立てる手段は欲しいものだし、迷っていられる時間というのは日本一周が終わるまでではないか、とも思った。

そして何かを為すことを考えるなら、四十という歳は確かにある程度節目になるような気がする。

身体の衰えもある。

大器晩成、老年になってからようやく大成功を見る、という生き方であっても、やはり四十の時には何かに一生を捧げる覚悟というものは決まっていなければ難しいような気もする。

 

旅人として生きる。作家を目指す。

それだけでは足りない。夢も覚悟も曖昧なのだ。

明確な指針というものがない。

この旅を終えるまでに、人生の指針というものを定めておきたい。

それだって、世間からしたらとてもおそいのだが。

僕は、そういうことを考えるのを曖昧にしないために、しっかり迷い考えるために、今この旅をしている、というのも一つの理由なのだ。

その後今日はずっと、人生について考えていた。

 

虫除けスプレーがなくなり、今のテント場は異様に蚊が多いこともあり、夕方虫除けスプレーを買いに行った。

虫除けスプレーは高い。

最初のところで高いと感じたので結構歩いて別の店に行き、それを繰り返すごとに虫除けスプレーの値段は上がり、最終的に最初の店で虫除けスプレーを買った。

何をしてるんだ僕は。

ぐるぐるぐるぐる、その間もどう生きるべきか考えていた。

考えなければならない。僕はそういう性質の人間だ。

老師から言わせれば、こんな考えに意味はないのかもしれないけれど。

考えることが偉いわけではないけれど。

それでも僕は考えて生きなければならない。

僕はそういう人間なのだ。

 

 

歩いた距離:6km