歩いて日本一周ブログ

歩いて日本一周する記録とか雑記

最初の山

朝から左足に痺れるような違和感があり、今日はどうしようか…とうじうじしながらテントを畳んだ。

 

葛城山はこの旅で文字通り最初の山だ。

標高は959mと高くも低くもない感じだが、景色が良く人気の山なので歩きやすく整備されていて入門者もよく来る。

僕も何度か登ったことがあるし、その先の金剛山まで一緒に歩いたこともある。

しかし今は荷重はともかく左足の痛みと腿の筋肉痛が気がかりだった。

 

悩んでいても仕方ないので、よいしょと決めて登ることにした。

初めの10mほどで腿の痛みを覚え、大丈夫かなあ、と首を傾げながら歩いた。

とにかくゆっくり、何人に抜かされようと気にせずに、と言い聞かせて、えっちらおっちら歩いた。

腿が痛いので引き返そうかと何度も考えているうちに三分の一ほど登っていて、これをあと2回やるだけならいけるか、とそこからは楽観的になれた。

 

ちょっと歩いては止まり、少しでも休めそうなら腰を下ろし、気づくと結構登っていた。

山頂付近でこんな昔話を見つけた。


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婿洗い池という名前の由来の話

葛城山を水源とする村は、水が足りずに争いが絶えなかったそう。

ある時水を得るため、土地神様を怒らせて雨を降らせようと、ありがたい石を壊して池に沈めたらしい。

その時どういう訳か、外から婿養子として来た男を一緒に池に投げ、荒縄でゴシゴシ洗い半死半生の目に合わせた。

それからこの池は婿洗い池というらしい。

 

いや、本当にどういう訳なんだ。ひどすぎるだろう。

理由が伝わっていないところがまたリアルだ。

ひょっとすると、婿養子の結婚相手に懸想する性悪の男が彼を嵌めたのではないか。

そんなことを考えていると山頂に着いた。

 

葛城山なんて普通の山なのに、あまりに嬉しくて両腕をあげて喜んだ。


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もう昼前かと思ったら8時40分だ。

金剛山も行けるかもしれない。

その前にオカリナでも吹こうか。

 

 

オカリナを吹いてから出発すると、埼玉から登山に来ている夫婦に声をかけられた。

背中の『歩いて日本一周中』を見てのことだ。

「頑張ってください。応援してます」と言われ、とても励みになった。

こういうことがあるだけでも、やはり背中にぶら下げた価値がある。

木の板を買って彫刻刀で彫って色をのせてニスを塗ってとなかなか大変だったのだが、その甲斐はあった。

 

葛城山から金剛山へは水越峠という峠を通るのだが、この峠まで大分下る。

縦走登山の良い所は少し下ったり登ったりするだけで次々と山頂が踏める所にある。

それなのにぐんぐん下るので、「まだ下るのかあ」と気が滅入る。

もちろん、下った分登らなければならないからだ。

 

ちなみに、葛城山金剛山は両方大阪と奈良の県境にある山だ。

金剛山の標高は1125mで葛城山より高い。

しかし山頂が奈良にあるので、大阪府の最高峰は葛城山となる。

そして大阪府の最高地点は金剛山への道にある。

今回は両方踏んでおいた。

 

ゆっくり歩いていると、それほど疲れずに金剛山に着いた。

左足が少し傷んだが、このくらいなら大したことはない。

やっぱり登ると決めて良かった。


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次は千早赤阪村に向かうが、ちょうどいい泊地がなさそうなので、金剛山キャップ場を利用することにした。

金剛山山頂でも泊まれそうな場所はあったが、人が多い場所であるし、テント泊がどのくらい許容されているか分からない。

その上水をあまり使わないようにと書いてあることもあり、キャンプ場にした。

 

久しぶりに人目を憚ることなく、好きにテントを張れる。

暗くなるのを待って人目を避けてテントを立て、見つかったら何か言われないかとびくびくしながら炊事をするのもなかなかストレスなのだ。

 

金剛山キャンプ場はちはや園地の中にある。

設備は一通り整っていて、道具の貸し出しも充実している。

その上無料で金剛山の自然や動植物について学べる小さなミュージアムもある。

屋根のある炊事場、屋根の下にテーブルと椅子に並ぶ食事スペース。

あちこちから鳥の声が聞こえる。

とても良い場所だった。

これで500円だから安い。

 

ちはや星と自然のミュージアムでは、歩いている時に何度も声を聞いたが、名前が分からなかった鳥が判明し、なかなか面白かった。

受付では、予約した時に電話対応してくれた女性が事務作業をしていて、僕が入ると声をかけてくれた。

こういう所でのんびり働くのも楽しそうだ。

 

暗くなるまでまだ時間があるが、人目を憚る必要がないので、もう食事にしてしまおう。

お腹が空いた。

今日はぐっすり眠れそうだ。

 

 

…まあ昨日も一昨日もぐっすり寝ているのだが。

お休みの日

今日も、色々なことがあった。

 

元々、ブログは不定期で書くつもりでいたけれど、今では日記のように思って、毎日書いている。

今のところは。

日記と言っても、一応公開している文章なので、自分の内面に深く関わり過ぎていることは書きにくい。

とはいえ、そういったことこそ日記に残しておきたいものだ。

そこでブログとは別に日記を書くことも考えたのだけれど、それも面倒だし、どうせ読んでいる人もごくわずかだろうから、ここに全部書いてしまおうと思う。

 

朝から快晴だった。

早々にテントをたたんで、準備をしていると、登山に来たおじさんに挨拶をされ、挨拶を返した。

おじさんは「今日は…」と言って空を見上げると、

「絶好ですね」

とこちらを見た。

「めちゃくちゃ良い天気ですね」

と答えると、嬉しそうに笑った。

 

もちろんそれは、絶好の登山日和ですね、という意味だった。

ここは葛城山登山口であり、ロープウェイで登る人もいるけれど、とにかく山を登るための人が来るところだ。

しかし僕は、心の中で、絶好の洗濯日和だな、と思っていた。

 

左足のくるぶしと、両脚の腿の外側が痛むため、今日はお休みと決めていた。

 

汚れた衣服をトイレの手洗い場で洗い、邪魔にならない所で乾かした。

重い荷物から小さなバックパックを取り出し、そこに必要最低限のものを入れる。

大きな方のザックにはシートをかけておいた。

これで誰も気にしないだろう。

 

小さなバックパックを背負い、図書館に向けて歩き出した。

意気揚々。

足は少し痛いけれど、気分は快晴の空のように晴れやかだった。

家を離れて、外で野宿するような日々を過ごしていると、これは不思議なことなのだけれど、天気が大きく気分に影響する。

空がよく晴れていると、気持ちも晴れやかで、くもりだともやもやして、雨だと感傷的になる。

 

歩く道は、緑に溢れていて、あちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。

鳴き声から何という鳥か当てたり、見つけてあれはジョウビタキ!などとやっていると、どんどん楽しくなってくる。

田舎道なので植物も豊富だ。

食べられる野草も結構ある。

 

昨日も同じ道を通ったはずだけれど、今日の方がずっと、素敵な散歩道だった。

荷物が軽いこと、寝食の心配がないことから、昨日ここを通ったときよりも心に余裕があったからだろう。

 

人生には、適度な余裕と緊張が必要だと思う。

余裕がないと、目の前のやるべきことにしか意識を避けない。

愉しいことを考えたり、ふとした景色に感動したりできない。

ただ生きているだけになってしまう。

面白みのない人生は虚しい。

 

一方で、余裕ばかりで緊張がないと、こちらは一見良さそうに思えるのだけれど、あらゆることに飽きてしまう怖さがある。

余裕があって、満たされていて、生活にはなんの問題もないのに、いや、だからこそいつも退屈している。

何をやっても、面白みが感じられなくなる。

面白みのない空虚な人生になる。

それも良くない。

 

 

散歩道は面白みに溢れていた。

 

途中で大型犬を四匹も連れた人とすれ違う。

旅を始めてから、犬の散歩をしている人とよく出会う。

ちなみに僕は犬か猫なら猫派だが、猫アレルギーの猫派だが、犬なら大きいのが好きだ。

大きければ大きいほど良い。

いつか自分より大きな犬を見つけて頼んで、背中に乗せてもらおうと考えている。

 

カーブミラーに繋がれた犬がいた。

その犬は信じられない程造形が整っていた。

しばらく見つめていても吠えないので、そろりそろりと近づいていくと、かまってほしそうに後ろ足で立ち上がる。

思わず撫でてしまった。

あまりに可愛いので、大きな犬が好きということどころか、猫派であることすら揺らぎそうだった。
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目をぱっちり開けているところが可愛かったのだけれど、スマホを向けると恥ずかしいのか、顔をそらしたり目を閉じたりして上手く撮らせてもらえなかった。

 

犬と別れると、キジを見つけた。

見間違いかと思って追いかけると、まごうことなき立派なキジだった。


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この写真の枯草色の植物だが、先端についている同色の塊は穂ではない。

全てカマキリの卵である。

 

 

図書館に着くと、昨日最後まで読めなかったアイネクライネナハトムジークのラストを読んだ。

終わり方もなかなか良かった。

次に森見登美彦有頂天家族を手に取り、読み始めた。

なんとなしに読み始めてしまったが、伊坂幸太郎の本に変えようかな、と思いつつ、面白いのでのめり込んでしまった。

 

本を読んでいると頭が痒くなってきた。

旅に出てから頭を洗っていない。

そこで昨日行った公園に蛇口があるのを思い出し、公園ヘ頭を洗いに行った。

公園ヘ頭を洗いに行くというのは可笑しかった。

公園にはたくさんの親子連れがいた。

晴れた日曜日というのもあるだろうけれど、随分人気のスポットらしい。

公園の蛇口で頭を洗うのはそれほど変わった行為ではないと思うので、周りの目は気にならない。

ついでに昼食をとり、オカリナを何曲か吹いた。

 

図書館に戻って有頂天家族の続きを読み始めた。

困ったことに、また閉館時間までに読み終わらなかった。

残り一章だったのに。

面白い所だったのに。

図書館を出ると空は曇っていて、気分は沈んでいった。

 

左足はまだ痛い。

明日は山を登れるだろうか。

しかし明日また休んでも足が治る保証はない。

というか治らない気がする。

3日ぐらい安静にしていないと完治しないと見た。

通常なら難しくもない。

しかし旅をしている僕にとってそれは、3日間を無為に過ごすことを意味する。

何も進まないまま、時間だけが過ぎていく。

食料を買うとお金も減る。

それは結構なストレスだ。

まだ始めたばかりなのに、こんなことで大丈夫なのか。

 

左足は、歩いていればそのうち痛みを感じなくなる。

ただ、治っているわけではない。

悪化すると怖い。

もしかすると無視して歩いていても気づいたら治っているかもしれない。

しかし…

うじうじ考えているとどんどん気持ちが沈んでいった。

 

やがては旅自体への不安も持ち上がってくる。

一番の不安は、日本一周を達成できるか、ではなく、僕はこの旅を楽しむことができるのか、だった。

今は始めたばかりで、慣れないことが多く、余裕があまりない。

今日は例外的に余裕はあったが、荷物を背負って歩いていても余裕ができるようになるのか。

四日目にして、不安が押し寄せてきた。

 

まあ、こういうのは案ずるより産むが易しだ、と自分に言い聞かせる。

 

明日もなるようになるだろう。

なるようにしかならないのだ。

 

気持ちを切り替えて荷物の場所まで戻った。

被せたシートを取ると、大きな方のザックは大量のアリにたかられていた。

ぎゃー!

 

アイネクライネナハトムジーク

夜中、ふと意識が浮上して、ポツポツとテントを叩く雨音を聞いていた。

全身の疲労を感じて、このまま明日は雨だといいなと思い、再び眠りに落ちた。

 

目が覚めると、体のあちこちが筋肉痛やら何やらでバキバキで、このまま今日は眠っていたかった。

すがる思いで天気予報を確認すると、くもりのようで、がくりと肩を落とした。

 

雨だと行動しなくていい理由は、テントにある。

僕は基本的にテントで野宿をしている。

しかし大っぴらにテントが張れる場所は限られていて、もちろんテント禁止と書かれている所は避けるけども、そうでなくても、そもそもテントが想定されていない場所に張ることが多い。

その場合、夜暗くなる直前にテントを張って、朝早くに撤収することで、問題になることを回避する。

今回テントを張った場所は、雨だとほとんど人は来ないと思われたので、雨であればテントを張ったままにして休めたのだ。

 

実際にはくもりだったので、重い腰を上げて撤収し、歩き始めた。

 

少し歩くと、腿の上部、腰のすぐ下の筋肉が悲鳴を上げて、左足のくるぶしも痛むため、この日葛城山を登るのは無理だと分かった。

 

そこで葛城山手前の公園に泊まることに決めて、歩いて行ったのだけれど、公園の利用時間が決められていて、泊はできなさそうだった。

ちょうどそのタイミングで雨が降り出した。

屋根と椅子、テーブルだけの休憩所で、雨宿りしながら、しばらくオカリナを吹いていた。

 

オカリナを自由に吹けたのは良かったけれど、だんだんと寒くなると、気持ちも冷えてきた。

雨だというのに、公園にはちらほらと人が来る。

子連れの家族や老夫婦が楽しげに歩いていく。

しばらくするとみんな帰っていく。

僕もここで泊まることはできないから、痛む足でここを去らなければならない。

 

ここにはいられない。けれど、行くべき場所もない。

天気予報を見ると、夕方まで雨、と予報が変わっていた。

最近は天気予報が外れてばかりいる気がする。

こんなことなら、テントを撤収せずに道の駅で休んでおけば良かった。

 

3キロ程先に、葛城山登山口手前の休憩所があって、テントが張れないこともなさそうだった。

道の駅まで戻るのもせっかく進んだ分がもったいなくて嫌だったので、こちらを目指すことにする。

まだ昼過ぎだったため、図書館に寄ることを考えた。

気分が沈んでいて、図書館に行ってもどうせ一冊読み切るほどの時間は無いなどと後ろ向きなことばかり考える。

 

迷った末、図書館に行くことにした。

 

図書館の中は暖かく、人はまばらにいた。

誰も座っていない椅子と机が三つ並んでいて、一番奥の椅子のそばにザックを下ろして、椅子に座った。

脱力して、落ち着く。気分も落ち着いた。

やはり、図書館に来て良かった。

 

横に目を向けると、『伊坂幸太郎』の文字が目に入った。

最近、伊坂幸太郎にはまっている。

伊坂幸太郎の欄には十冊程の本があり、その中の『アイネクライネナハトムジーク』を手に取った。

ちょっと前に「伊坂幸太郎 おすすめ」で検索した時、連作短編集として紹介されていて、面白そうだと思っていたのだ。

 

読み始めて、すぐにのめり込んだ。

ついさっきまでの憂鬱な気分は気づけば吹き飛んでいた。

 

内容が面白かったのはもちろんだけれど、小説を楽しむには読む側のコンディションが大きく関わっていると思う。

僕の場合、アウトドアで疲れていたり、雨などで気分が落ち込んでいる時に、小説が特別素晴らしいものに思える。

 

伊坂幸太郎は、家族や特に父や母を魅力的に書くのが上手いと思う。

伊坂作品には変人もよく出てくるし、彼らも良い味を出しているのだけれど、なんでもない平凡な人、特に父親や母親の立場の人物が出てきて、彼らが実は豊かな魅力を持っていることが描かれる。

 

アイネクライネナハトムジークにも何人も魅力的な登場人物が出てくる。

とても良かった。

惜しむらくは、最後まで読めなかったことだ。

残りページは僅かだったのに、図書館の閉館時間が来てしまい、最後まで読めなかった。

 

足の調子からして明日はお休みにするだろうから、また図書館に行けばいい。

 

このまま良い気分で今日を終われたら良かったのだけれど、図書館から今日の泊地までの道が思いのほか大変で、しかも着いてみるとあまり堂々とテントを張れる場所ではない。

こんなことなら道の駅に戻れば良かったと、今後悔している。

 

 

 

 

旅の計画

そういえば、どこから出発して、どこを目指すのか、ということすら書いていないことに気がついた。

 

記録としても、必要な情報だ。

歩いた軌跡は、グーグルマップのロケーション履歴によって、一応記録されている。

とはいえ、スマホの電源が切れると記録されないことから、全ての歩行記録をとることはできないだろう。

 

出発点は、奈良だ。

昨日、今日合わせて30kmちょっと歩いて、今は奈良の葛城山手前にある道の駅にいる。

 

まず目指すのは四国だ。

和歌山県の北西端、大阪南西端から入ってすぐの辺りから、四国への船が出ている。

船に乗った時点で、厳密には歩いて日本一周はできていないのだが、徒歩の経路が存在しない場合はやむを得ず乗り物を使う。

 

四国へは、大阪を通っていく。

この旅では、各都道府県を素通りせずにしっかり回ることにしている。

しかし、大阪にはあまり自然がないので、正直気乗りしない。

そこで、まず大阪府最高峰の葛城山大阪府最高地点のある金剛山を登り、大阪府唯一の村である千早赤阪村を通って四国行きの船着き場を目指す。

これで大阪府の南部で見ておきたい所は大体見られる。

大阪府北部は、九州まで行って帰ってくる時に回るつもりだ。

 

ちなみに、和歌山、奈良は日本一周の最後に回る。

 

 

今日は、良いことがあった。

 

歩いていると、正面から歩いてきたおばさんに「後ろ、なんて書いてあるんですか?」と尋ねられた。

いきなりのことだったので、何かの注意を受けるのかと身構えながら背中を見せた。

背中には当然ザックがあり、そこには『歩いて日本一周中』と書いた木の板がぶら下げられている。

 

これは主に、不審者と間違えられることを防ぐために付けたものだ。

少し変な所で野宿や怪しい行動をしていても、これを見れば察してもらえるかもしれない。

 

日本一周を二日前に始めたばかりだと説明すると、どこか嬉しそうに頷いた。

彼女は、車で後ろから歩いている僕を見て、興味を持って車をすぐ前のコンビニに止めて下り、話しかけてくれたそうだ。

お遍路さんをやったことがあり、重そうな荷物を持って歩いている人を見ると、つい気になるのだと言う。

 

同じようなことをしたことがある人と話すのは、仲間を見つけたようで嬉しいものだ。

 

彼女はハッとしたように、その場で待っているように僕に言うと、車に戻ってしばらくごそごそしていた。

戻って来ると、折りたたんだ千円札2枚と、開封前のガムを手に持っている。

 

「今車に何もなくて、こんなものしかあげられないけど、何かの足しにして」

と、車に良いものがなかったことを残念そうにそれらをくれた。

 

からしたら、降って湧いたような幸運である。

金もないので、二千円はもちろん嬉しいし、ガムなんて自分ではもったいなくて買えないのでこちらもありがたい。

 

けれどなにより、その気持ちが一番嬉しい、とはこういうことを言うのだと思った。

 

まだ二日しか歩いていないのに、こんなことがあっていいのだろうか。

必ず日本一周をやり遂げようと改めて思う。

 

 

さて、今日は他にも、面白い出会いがあった。

腰折田という地名の場所は、相撲の元となった昔の立ち合い、當麻蹴速と野見宿禰の試合にちなんでその地名がつけられたらしく、相撲発祥伝承地として、像や記述があった。


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野見宿禰はバキ道という漫画に出てくる。

そのため、この決闘についても知っていた。

ただ、公式に認められた記述を読むと印象も違う。

 

牛を生身で絞め殺したという力自慢の蹴速に対し、我こそは日本一と決闘相手になった宿禰

その結果が宿禰の蹴り一発で、蹴速の腰の骨が砕け、死に至り、すぐに終わったと言うのだから、なまじ壮絶な戦いが描かれるよりも現実感がある。

 

壁のない土俵で、蹴りの力だけで普通より丈夫であろう人間の腰骨を砕くとは、昔の力自慢はまさに別格だ。

 

相撲の手を前に出して構える姿勢は、ひょっとして蹴りに備える体勢から生まれたのだろうか。

 

 

明日はいよいよ登山だ。

葛城山は900~1000mだったはず。普段ならなんてことはない山だ。

金剛山まで縦走したこともあるが、水越峠でかなり下るので、金剛山にまた登らないといけないのが大変だった。

 

今回は荷物の重さに加え、今日までの疲労が問題になる。

昨日から左足首が少し痛んでいるが、歩ける程度だ。

また、腰でザックを支えるため、腰を挟むことによるダメージが蓄積している。

肩の痛みは、今日は昨日程ではなかった。

筋肉の疲労は今のところ問題なさそうだ。

 

最初は身体がザックの重さと毎日長距離歩くことに慣れていないので、身体的につらいことが続くだろう。

1ヶ月後にはもう少し慣れているだろうか。

 

今日という日は

今日という日は、残りの人生の最初の一日

 

とは、誰の言葉だったか。

調べてみると、薬物中毒患者救済機関シナノンの創設者チャールズ•ディードリッヒだそうだ。アメリカン•ビューティーという映画で引用されていて、そちらの方が有名かもしれない。

好きな言葉は多いけれど、誰が言ったのかは大抵忘れている。

 

今日、当たり前のように家の扉を開けて、日本一周の旅に出た。

 

 

空はよく晴れていて、春の陽気が心地良かった。

などと平気でいられたのは最初のうちだけで、1時間も歩けば、33キロの荷重が徐々に肩を苦しめた。

長い歩き旅となると、必要なものは全て持っていくので、自然、家を担いでいるようなことになる。

 

この旅は、身体を鍛えることも目的の一つだ。

そのうち、荷重に慣れていくだろう。

 

今日は初日なので、15km程歩いた先にある道の駅を目的地とした。

思いの外早く、午前中のうちに着いてしまった。

一方で予想以上に疲弊していたので、午後はほぼずっと道の駅のベンチで昼寝していた。

とても気持ち良かった。

 

考えてみると、日中あまりやることがない。

スマホのバッテリーを無駄使いしたくないので基本的に開かない。

小説があれば重宝するだろうが、すぐに読み終えてしまうだろうし、金がもったいないので、図書館などを利用するにしても、常に何か読んでいる状態を維持するのは難しい。

街中だとオカリナも吹きにくい。

 

結果、疲れていることもあり、昼寝に落ち着く。

 

歩いて、昼寝をする。

食事をして、星を眺めて、寝る。

目覚めて、歩く。

 

急ぐことも、焦ることもない。

目の前で青信号が点滅し始めても、早足になる必要はない。

 

まるで僕だけが、世間の喧騒から切り離されたかのようだ。

 

なるほど、こんな感じか。

 

実際に始まるまで、どうなるのか、どんな旅になるのか、分からない。

少しずつ、旅の形が、明らかになる。

というより、形作られていくのだろう。

 

 

今日分かったことは、

肩への負荷が、なかなか大きいこと

もう少し、ゆったり休憩を挟みながら歩いていいこと

昼寝が心地良いこと

寝る場所は見つかっても、火を使った炊事ができる場所は、やはり限られていること

チキンラーメンは、カップラーメンより安く、通常の袋麺と違いコンビニの給湯器でお湯を注げばできるので、便利だということ

 

慣れないうちは、新しく知ることも多いはずだ。

分からないことが多いから。

 

さっきも書いたように、自分でも、どんな旅になるのか分からない。

けれど、思った程不安はない。

 

今日は、星がよく見える。

 

 

 

出発できない…

二日前には出発する予定だったのだけれど、体調が芳しくないので少し様子を見た。

 

そして明日ようやく出発できると思っていたら、そういえば傷だらけの眼鏡を旅立つ前に新調しようとしていたことを思い出した。

店に行くと度数の合うレンズがないらしく、一週間かかると言われた。

 

もうパッキングも全て終わっているのに、肩すかしを食らった気分だ。

春の暖かい陽気の中を歩いていると気がはやる。

しかし今すぐ出発しなければならない理由もないのだ。

 

もう少しだけ待とう。

食べられる山菜や野草が育ちきってしまわないか。

それが気がかりでしょうがない。

 

 

旅に出る前に

歩いて日本一周ブログ、と題したものの、まだ旅には出ていない。

数日後にぼちぼち出発するつもりだ。その後は2年半くらいを目処に日本を徒歩で回る。

 

旅に出る前に、旅の目的とブログの目的を記しておく。

 

旅の目的

旅の目的は、歩いて日本を一周すること、ではない。

実のところ日本一周に大した意味はない。

 

旅人として生きると決めた時、世界を回る前に日本のことをもっと知るべきだと思った。

世界の前の日本。

けれど海外に何度か行ってみて、実は日本はすごい国なんじゃないか、と感じた。

それは経済的にどうとか、トイレが綺麗だとか、僕にとってはおよそどうでもいいことではなくて、その繊細で豊かな自然に対する実感だった。

 

少し歩けば山があって、そこには美しい渓流があり、川魚が泳ぎ、石を返せば沢ガニがいる。

車を走らせればすぐに海があって、磯には種々折々の貝が、砂浜にはまた違う生き物がいる。

南は亜熱帯、北へいくと暖温帯から冷温帯、そして亜寒帯まで。

小さな陸地は凹凸が激しく、その分生き物の生息地として、著しく多様性に富む。

 

こんな国は、世界広しと言えど日本だけだ。

 

僕は日本の、自然を見て回りたい。

それが旅の目的。

 

けれど、日本の自然やアウトドアライフを書いた少し古い本を読むたびに、昔はもっと豊かだった。もっと魚がいた。もっと綺麗だった。という話に出会う。

その時代を知らない僕は、寂しい気持ちにすらなれない。

それが少し、悲しい。

 

日本の自然は昔に比べて確かに失われている。けれど経済発展のためそれはある程度仕方なかったのだろう。

ただ、それでも今どれだけの自然が残っているのか。そして失われつつあるのか。それらを守る方法はあるのか。

 

そういったことを、自然の中を歩いたり、ただぼーっとしたり、生き物を捕って食べたりしながら体感していく。

これはそういう旅だ。

 

そのためには、車でも、原付きでも、自転車でも速すぎる。

歩くぐらいがちょうどいい。

それでも速く感じたら、立ち止まって、座り込んで、寝転がってしまえばいい。

 

日本一周は1つの達成目標だ。

こういう基準があったほうがゴールが明確でモチベーションになる。

あと、達成できた時にちょっと嬉しい。

 

他にこんな達成目標がある。

  • 都道府県、通過するだけではなくしっかり回る
  • 都道府県の最高峰を踏む

 

あとは各地の食材を利用したご当地グルメを食べるなどもしてみたいが、基本的に金はなく野宿&自炊の旅なので難しいかもしれない。

 

もちろん、「歩いて」なので、海を渡る時以外は徒歩だ。

それはルール。

ちょっとヒッチハイクでそこまで行って、戻ってきて徒歩に戻る、とか、そういうズルはしたくない。

 

ブログの目的

ブログの目的は旅の記録だ。

日記みたいなものだけれど、一応公開することで、自分で完結しない確かな記録になる。

今回の旅が終わったら本を書こうと思うので、思い出すよすがになる。

 

そういう目的なので、発信に力を入れる予定はない。

 

YouTubeやXで発信したり、ブログもwordpress を使って本格的にやった方が多くの人の関心を集めることができるかもしれない。

けれどそのためには労力が必要で、気持ち的にも、発信に寄ることになる。それは避けられない。

 

次はどんな動画にしようか、あそこでこんなことをすれば良いネタになる。

 

それはyoutuberやブロガーとしては素敵なことだけれど、僕のやりたいことではない。

記録は公開するけれど、これは僕の至極個人的な旅で、純粋に自分のやりたいことにささげる旅だ。

 

人の関心を集めた方が、旅の終わりに書く本も売れるかもしれない。

けれど金を稼ぐために旅をするわけじゃない。

本質を見失ってはいけない。

 

ブログも不定期になるだろうし、あまり読みやすさに気を使えないと思う。

コメントをもらっても返し忘れるかもしれない。

申し訳ない。

 

それでも良かったら好きに読んでほしい。

 

読み続けてくれなくていいし、あなたの人生が大事なときはこんなブログのことは忘れてもらって構わない。

 

そういえば、と思い出した時に覗いてもらえると、

 

僕は日本のどこかを歩いているだろう。