のんびりの効果
朝からテントの中でネット小説を読んだ。
最近は出発が8時頃になっていたから、それなら7時ぐらいまでダラダラしていても問題ないと判断したのだ。
要は言い訳である。
いざ7時を15分程過ぎてからスマホを閉じて気づいたのだが、普段は別にネット小説など読んでいない。
それなのに準備に8時までかかっているということは、ダラダラ読者した後に準備を始めればもっとかかるのが道理だ。
いやしかし、出発の準備に1時間もかかるだろうか。
できるだけ急いで準備を整えると、準備体操まで含めて8時には間に合った。
最近はアリの襲撃を受けたり、雨でドロドロになったテントを洗って乾かすなどの作業があったから余計に時間がかかっていた、ということを除いても、普段はのんびり準備しているから遅いのだと気づいた。
つまり、毎回こうやってテキパキと準備を進めれば、ネット小説を読む時間ができるということだ。
そこで僕は、自分が落とし穴に落ちたような感覚を覚えた。
早く準備を進めれば、時間ができる。その時間に別のことができる。
さらに一般化すれば、やるべきことを効率的に行えば、余った時間に別のことができる。
この考え方は正しいだろうか。
いや、これは、実はまずい考え方かもしれない。
僕がなぜこの感覚を覚えたかといえば、旅に出てから僕はおよそ時間というものを意識することがなかったからだろう。
何かをするのに、時間的制約などなかった。
好きにやって、終わった時が終わりだ。
全てがマイペース。
なぜそんなことができたかといえば、これは簡単にやることが少なかったからだ。
そして、それで良かった。
何が言いたいのか。
時は金なり。
そう。僕はこれまでもこのブログで書いてきたが、金というものは、足ることを知るのが重要で、際限なく求めても決して幸せは得られない。
幸せのためには、美味しいものや楽しいこと、娯楽が大切となるが、現代ではこれらは金が無いと得られない場合が多い。
そこでみんな金を稼ぐことに集中するのだが、その結果金を稼ぐことに躍起になるあまり自分の好きなことにかける時間がずっと少なくなったり、自分が何が好きなのかすら分からなくなってくる。
幸せのために金を稼ぐなら、まず金は多ければ多いほど良いという考えを捨てて、自分の幸せにちょうどよい金の量と、それを稼ぐ仕事を自分の性質に合わせて考えるべきだ。
そしてこのことが、時間にも言えるのではないかと、今朝この時思った。
仕事をするにも遊ぶにも時間が必要だ。
時間は多ければ多いほど良いとみんな考えるが、実際には時間を増やすことはできない。
そこで登場するのが効率というもので、効率を上げることによってそれぞれのタスクを短い時間で終わらせることができ、余った時間でほかのことができる。
これは現代社会で常識となっている考え方だと思う。
何でも効率化し、余った時間、時間の空隙には何かしらの行為を入れる。
こうして常に何かをしているような気になり、何かとても忙しいような日常を送っている人が多いのではないか。
仕事や家事だけでなく、娯楽さえも短くできるならそのほうが良いとなってしまって、倍速で映画を見たり、せかせかと観光地を巡ったり。
同じ行為をするなら、遅いより早い方が良い。
それは本当か。
大学在学中、屋久島に調査の手伝いに行ったのだが、極めて順調に調査が進んだおかげで最後の日は大分時間が余った。
せっかくだから残りの時間は観光に回そうということになり、各自行きたい場所を話し合うと、結構多くの場所が予定地となった。
いざ車に乗って出かけて、各自のんびりと満喫。
川から海へ落ちる滝を見に行った時、急傾斜の細い道を降りれば海辺へ降りられることに気が付き、みんなで降りて遊んだ。
各自オカリナを吹いたり口笛を吹いたり岩崖を登ったり水切りをしたり、地面に絵を描いたり、ちょうどよいところで果物を剥いたり……のんびり好きに遊んだ結果、はじめに予定していた場所はほとんど回れなかったのだが、たぶん他のどの観光地巡りより良い思い出になった。
幸せのためにとても重要なのが、心の余裕だと思う。
時間にとらわれると、心の余裕を失いやすい。
忙しいとは、文字通り心を亡くした状態なのだ。
やりたいことが3つあって、急げば3つ全部できるとしても、のんびり2つやった方が満足度は高いかもしれない。
金に余裕を持つためには、金を使わなければいい。
時間に余裕を持つためには、時間を使わなければいい。
時間の空隙を楽しみ、のんびりとやった方が、せかせかとたくさんのことをこなすよりも幸せになるのではないか。
もちろん各人の性質によるところも大きい。
しかし現代は時間や効率を重視しすぎる傾向にあり、また何もしない時間に耐えられず、あまり意味のあるとは思えないことを忙しくやっている人が多いように感じる。
あえてこういう主張をしてみるのもありだろう。
まあ、基本僕は天邪鬼なので。
道の駅きららあじす
大きな橋を渡る手前の公園のトイレで、おっちゃんに話しかけられた。
どこまで行くのかと聞かれ、日本一周だと答えると、食い物をやると言われた。
大型トラックの運転手のようで、駐車場に止まったトラックの助手席に乗せてもらった。
カレーメシを渡される。
「これ、お湯はこれに入ってるから」
カレーメシはちょっと高いので買ったことはなかったが、一度食べてみたかった。
その他、おっちゃんの昼食らしき鶏肉やウインナー、ぶどうなどをもらった。
「どこから来たんや」
「奈良です」
「ずっと歩いて?」
「はい」
食べながらおっちゃんの質問に答える。
おっちゃんは「アホちゃうか」と笑っていた。
さっぱりしていて良い感じの人だ。
「親は心配するやろ?」と、旅していてうんざりするほど言われてきた言葉も言われたが、同じ言葉でも言う人の本音というものが、態度や声音に出るものだ。
「そんなことして親に心配かけて、どうしようもない人やね」と思っている人の言葉は、その内心まで伝わってくる。
この人は、さっぱりしていて、特になんとも思っていないが、言うだけ言ってる感じだ。
自由でええなあ、とも言っていたか。
言葉の内容は同じでも、声音や態度で全然変わるなあ、と改めて実感した。
お湯が冷めていたのか、カレーメシは固く本来の完成形とは違っていたと思うけれど、美味しかった。
おっちゃんと別れて、道の駅まで歩いた。
休憩所が屋内外ともにあり、WiFiもあるとても良い道の駅だ。
野菜を見に行く。
玉ねぎ、にんじん、じゃがいもなどの根菜が並ぶが、どれも北海道産で、このあたりではまだ収穫されていないようだ。
冬の野菜なのか。
値段も安くない。
夏野菜は、値段が高くなってきている。
今の時期、野菜は安くないな……。
宇部市
ネット小説を読みながら着々と歩を進めている。
下関まで後50km程なので、2日で着く。
実際に九州に渡るのは3日後になるかもしれないが、なんとか9月中に渡れそうだ。
今日泊まる公園は結構広く、至るところに大きなオブジェがある。
池にはハクチョウがいた。
散歩やランニングに来る人が結構いる。
テントのそばにロンギヌスの槍が刺さっていたので義務感にかられて写真を撮っておいた。
ちなみに槍自体は黒く、赤いライトアップでこう見える。
歩いた距離:22km