猫
香川に向かって歩いていると、猫のような鳴き声が聞こえた。
辺りに猫の姿はない。
海のそばだったので、大した知識もないけれどウミネコだろうかなどと考える。
あ、また聞こえた。
どうやら反対側の歩道の向こう、藪の中からのようだ。
何度も繰り返される猫の声が助けを求めているように聞こえて、行く先にある横断歩道を渡り、ちょっと戻って藪を探した。
すぐに見つかるかと思えばなかなか見つからず、ようやく見つけたのは握りこぶし三つ分くらいの子猫だった。
親に捨てられたのだろうか。
それとも、人に捨てられたのだろうか。
明らかに何かに困って鳴いているのに、僕が近づくと怯えるように草の中に逃げてしまう。
よく見ると目の上に傷がある。
他の野良猫かカラスにでもいじめられたのだろう。
僕に手当てはできないし、できることといえば何か食べる物をあげることぐらいだ。
食糧バッグを開けてみたが、僕だってろくな食糧を持っていない。
スキムミルクを水に溶かし、小さなフライパンに乗せて差し出してみたが、怯えたように逃げるだけだ。
藪に入って、少し離れた所から歩道に出てきた。
そして、車道の方へ向かってしきりに鳴いている。
ああ、この猫は飼い主に捨てられたんだな、とこの時思った。
車で連れてこられて、ここに捨てられ、車は去っていった。
その光景が想像された。
僕に見向きもしないのは当然だ。
子猫が待っているのは飼い主なのだから。
僕にできることはもうない。
一瞬、『捨て猫です。拾ってください』と書かれた段ボールに子猫を入れて持ち歩いている自分の姿が想像された。
ない。
僕はそこまでお人好しじゃない。
この猫はこの後どうなるだろうか。
飼い主は帰ってこないだろう。
他の人が拾うだろうか。
車はともかく、歩行者はほとんど通らなそうだ。
車に鳴き声は届かない。
僕がザックを背負いあげると、大きくなって驚いたのか、子猫が姿勢を低くしてこちらを警戒した。
まあ、人間に飼われることだけが猫の生ではないだろう。
猫は、日本だと生態系の上位に位置する。
野良になっても生きていけるだろう。
親がいないのは、大変かもしれないけれど。
強く生きろよ、と小さく声をかけて、子猫の前を通り過ぎた。
後ろの子猫は力尽きたのか、もう鳴いていなかった。
綺麗な川
うずしおロマンティック海道なる道が通行禁止だったため、潮風吹き抜ける長いトンネルをくぐった。
海岸沿いの道なので右側には海が見える。
香川県に入った。。
海岸にはテトラポットが重ねられている。
それでも、海は綺麗だ。
四国に来てからずっと、青く澄んだ綺麗な海しか見ていない。
砂浜もあちこちにある。
磯には、海藻や貝が豊富だ。。。
もうすぐ目的地という所で、綺麗な川があった。
一般に、川は下流に行くほど汚くなる。
僕の知っている大きな川は、大体上流の水は綺麗なのだけれど、下流になると汚れている。
しかし目の前の川は、河口とは思えないほど澄んでいた。
しかも、この川は、特にありがたがられて保全されているわけではない。
ただのその辺の川なのである。
そのことが、僕は嬉しくて堪らなかった。
川辺を歩いていると、川の中にボラやフグの他、大きめのカニや、ハゼの仲間が見える。
僕は旅にガサガサ網を持ってきている。
網で川の生き物を捕り、食べるためである。
僕は持参しているガサガサ網を取り出して、川に入り、川岸を狙って生き物を捕ろうとした。
しかし、河口から少し歩くと川は浅くなり、とてもガサガサができる場所ではなかった。
諦めて戻ると、海辺の方で3人のおじいさんが何かしている。
手にはクワと大きなふるい。
礫海岸なので、イソメ捕りではないかと予想した。
話しかけると、確かにイソメ捕りだった。
逆に僕が何をしていたか聞かれ、答えた。
そこからどういう話の流れだったか、たぶん僕が日本一周の資金はバイトで貯めたと言ったことから
「そうか。最近やと、ベトナムの方から出稼ぎに来よる人おるやろ。あん人らこれ」
と言って小さな巻貝を見せる。
「これ食うとるわ。儂らも子供んころはよう食うとった。おやつ代わりにな。無かったからな。おやつなんかなんも。ひもじかった。甘いもんなんかなかった。向こうの方はサトウキビ畑でな、サトウキビにそのまんま齧りついとった。
今は良いよなぁ。金さえあれば何でも買える」
金があれば何でも買えるのが当たり前の時代に生まれた僕は、何も言えなかった。
ちょうど、破壊される自然は発展の代償なのか、発展とはそもそもなんだ、と考えながら歩いてきたので、彼の言葉は考えさせられた。
「タケノコなんかを山程とってな、何日もかけて食うんや」
「でも、昔は今よりたくさん採れたんじゃないですか?」
発展を喜ぶおじいさん。
しかし彼は今でもこうしてイソメを自分の手で捕りに来ている。
「そりゃあな。ほらこの、ゴカイかイソメかも、昔はたくさんおった。ほら今、藻が少ないやろ」
波打ち際の石に生える藻を指差して言う。
「昔はびっしりおった。減ることもないし。でもまあ、環境の悪化やな。環境が悪くなったから」
川を眺めながら、彼は言った。
しかし僕は心のなかで、セメントに囲われて大きな用水路のようになった地元の川ばかり見てきた僕にとっては、この川は十分綺麗なのだと、思っていた。
「畑の周りにヨシ(ヨシに限らずおそらく雑草のこと)がこんな生えよる。でも儂ら草刈り機なんかもう持てへんから。除草剤撒くやろ?全部流れよる」
レイチェル•カーソンの書いた『沈黙の春』は、除草剤、殺虫剤、農薬などの薬が、如何に自然を破壊するかを書き、ベストセラーとなった。
薬剤を自然に撒く恐ろしさに世界が震えた。
しかし今でも、普通に除草剤は撒かれ、そのまま川に流れ込んでいる。
綺麗な川だった。
海が綺麗だったのは、きっと四国の川がきれいだからだ。
しかしそれでも、環境は確かに悪化していて、現在進行系で、汚染がされている。
星空 焚き火 カレーライス
今日は無料のキャンプ場に泊まった。
ここが素晴らしい場所で砂浜があって後ろに芝生サイトがありトイレと蛇口まであって無料なのだ。
キャンプ場では直火での焚き火が禁止されていることが多いので、恐々としていたが、問題なかった。
今日はカレーの具材を買ってきた。
米を買い忘れて、走って取りに行っていたら遅くなったが、火を焚いて調理する。
出来上がったカレーを一口食べると、あまりの美味しさに声を出して笑ってしまう。
本当に美味い時、人は笑い声しか出ない。
銀の匙で八軒が言っている。
久しぶりのカレーは格別の美味さだった。
目の前には焚き火の火が揺れている。
空は満点の星空で、おおぐま座が美しく映えた。
最高の夜。
日常生活ではあまりないが、旅やアウトドアをしていると、たまに、今だ、と思うことがあると。
このときも、今だ、と思った。
今だ。
僕は、今この瞬間のために生きている。
歩いた距離:31km