歩いて日本一周ブログ

歩いて日本一周する記録とか雑記

二日目

レストラン

今日の朝、イスラエル人夫婦がこの家を発った。

この二人と僕、そしてこの二人とホストさんで写真を撮る。

ホストさんと二人の写真は、3人とも満面の笑みで、良い写真だった。

 

その後、僕はホストさんのやっているレストランに行くことになった。

車で向かう。

その時、思い出したように、あ、今歩かずに移動している…と気付いたけれど、まあこれは不可抗力だし、『歩いて日本一周』に抵触しないだろう。

たとえば、とある岬に僕が行きたくて、けれどそこに行ってもどうせ元の場所に戻って来るからという理由で、車などの乗り物に乗るのはルール違反としている。

しかし今はWWOOFで滞在中であり、仕事の手伝いで行っているので、セーフとする。

 

着いたのは以前来たことのある道の駅だった。

道の駅併設のレストランのようだ。

そこでひたすら皿洗いに勤しんだ。

 

昼頃などは大変盛況で、少ない人数でバタバタと忙しかった。

僕などはただ皿を洗っているだけだが、実質2つしか使えないコンロで定食やら何やら、ほぼ一人で次から次に作るホストさんはさすがであった。

注文も重なってくると、覚えるのすら大変で、作る順番も考えねばならない。

 

そば定食が3と、オムライスが2! 唐揚げはもうできたよ! そば単品で1追加、そば定食で2追加です!

 

てんやわんやである。

たかが皿洗いですら、追いつかなくなってくると焦る。

作るのはもっと大変だ。

 

こういったレストランで、自分が客の時は、遅いなぁ、後から注文した人の方はもう来たのに…などと呑気に思って待っているけれど、裏側がこんなだと知ると次からは待っている時の心持ちも変わってくる。

 

 

残してもいい文化

マダガスカルに行った時に言われた『大丈夫。残してもいい文化だから』という言葉が記憶に残っている。

僕は基本的に何でも食べるし、海外で巨大なイモムシや昆虫を食べる、となっても喜んで食べる。

けれど、マダガスカルに初めて行って、現地でしばらく住んでいる日本人に、この言葉を言われた時、ホッとしたのを覚えている。

マダガスカルの食事はどれも美味しかったし、一度も残していない。どころか、他の人が食べきれない分をもらって食べていたぐらいだ。

それでも、この言葉を聞いた時、逆に、そういえば残してはいけない文化もあるよな、と気づくと、安心せずにはいられなかった。

 

日本も残してもいい文化だろう。

人によって、残すことを良しとする人、良しとしない人はいるだろうが、少なくとも店で出された食べ物を残しても白い目で見られることはない。

 

皿洗いをしていると、残された料理がそのまま皿に載って僕の所にやってくる。

僕はそれをごみに捨て、皿洗いを始める。

 

食事を残すことは、悪いことではないのだと思う。

食べきれないこともある。

苦手な食べ物もある。

お金を払って楽しく食事するために来店して、なぜわざわざ食べたくないものまで食べて不快にならねばならないのか、と考えればその通りである。

 

ただ、歩いて歩いて、いつもお腹が空いて、食べずにいると倒れそうになり、金が無いので安いものを量重視で腹に入れて、歩いて歩いて、食べて、歩いて、時々美味しいものを食べると、幸せでいっぱいになる。

そうやって、食事というものがとてもとても大切だと、毎日実感して生きているので、あんまり簡単に残飯が運ばれてくると、思うことはある。

 

お腹が空いている時の僕にくれ、とか、主にそんなことを。

 

 

昼食

昼食はレストランのメニューにあるもの何でも作ってくれるという。

唐揚げ定食をお願いして、しかも米は自分で好きなだけよそってよかったので、どんぶりに山盛りにして食べた。

とても美味しい。役得である。

 

イスラエル人の奥さんが作った納豆も出た。

これが臭みはないし豆の味がしっかりしてとても美味しい。

素晴らしい昼食だった。

 

店員さんの中に旅好きの人がいて、話が合った。

その人はお遍路さんの経験があり、昔、30kgの荷物を背負って四国を回ったそうだ。

女性なのに偉いものだ。

しかも、当時軽いテントなどないから、重いテントは持つ気になれず、テント無しで野宿したらしい。

これには驚く。

僕もこの度のはじめ頃に、道の駅のベンチで寝たが、あまりに蚊が来るので寝ていられないのだ。

痒いだけではない。

むしろ痒さなんてマシなことで、耳元でぷ~んとあの高い音を聞かされるのがたまらなくうざったくて寝れたものじゃない。

 

最近のお遍路さんは、歩かない人が多い。

聞くところによると、歩くのはほとんど外国人で、日本人のお遍路さんは車ばかりだそうだ。

お遍路さんは歩いて四国八十八箇所を回ることである、と思っていたら、山の中にある道の駅で、バスの中からぞろぞろと笠を被って木の杖をついたお遍路さんが出てきて驚いたことがある。

それでいいのか。

と思ったけれど、皆お年を召した方だったし、歩くのは辛いのだろう。

寺を回るのに歩く必要はない。

今は令和である。

 

外国人のお遍路さんも何度か見たが、重い荷物の人は見たことがない。

みんな宿と食事処を利用するのだろう。

そもそもお遍路さんは、歩きながら人に少しずつ食べる物を恵んでもらうものだったような気がするけれど、その文化は今もあるのだろうか。

 

金をかけてお遍路さんをやるのも良いと思うが、たまには重い荷物を背負って歩く本物を見てみたいものだ。

いや、本物はテント無し野宿で食べ物も人からもらうから、荷物は少ないのだったか。

さすがに、現代でそれは不可能に近いと思うけれど(どれだけ他人から食糧を獲得せねばならないのか…)。

 

 

夕食

レストランが終わると、ホストさんが作ったシフォンケーキをいただいた。

ふわふわで口の中が幸せだ。

 

家に戻ると、ホストさんは疲れたと言って寝てしまった。

僕はその間に作物の水やりと、ビニールハウスの補修をする。

大きな穴が空いているので、それを塞ぐための新しいビニールを今日ホストさんと買いに行った。

それを使い、何とか塞いでいく。

ホストさんからは、疲れただろうから明日でいいと言われた。

しかし僕はまるで疲れていなかったし、明日は雨の予報なので、今日中にやらねばならない。

補修が完了した辺りでホストさんが起きてくる。

今日は作る気にならないということで、レストランの旅好きの人と3人で食べに行った。

 

この旅好きの人は相当変わった人で、話すのは面白かった。

 

夕食から家に戻る。

ホストさんは疲れた、とまた言うので仕事のことかと思ったけれど、そうではなかった。

 

言葉が通じない人が来ると疲れる。

と言う。

 

イスラエル人夫婦のことだとすぐに分かったけれど、あんなに良くしていたのに、ひょっとして本当は嫌だったのか、と軽くショックを受けた。

しかし、考えてみればそうではないことは分かる。

ホストさんは日本語しか話せないけれど、外国人のウーファーは何度も受け入れているし、以前はゲストハウスもしていたようだ。

嫌なら受け入れるはずがない。

二人に対してもとても優しかった。

 

つまり、普通に本音なのだ。

そう考えると、確かに大変だろうと想像できた。

 

ホストさんは英語がほとんど分からない。

言葉がまったく通じないまま、スマホのグーグル翻訳だけを頼りに、僕が来る前は3人で暮らしていたのだ。

イスラエル人夫婦は当然2人で母国語で話す。

何を言っているか分からないし、文化も違う。

こちらの言いたいことも上手く伝わらない。

疲れる。

これは疲れるだろう。

あれは、一つの仕事をやりきった後のような一言だったのだろう。

 

それでもまた、別の外国人が来る予定はすでにあるらしい。

すごいものである。

 

 

歩いた距離:0km