ろくでもない朝
ろくでもないと言えば昨晩からそうだった。
昨日は雨が降っていた。
小屋の中で夕食を作って食べたので、その散らかったものを雨の中テントに運ぶのは辟易とする作業だった。
テントから寝袋だけ小屋に持ってきて小屋で寝る方が楽だった。
だからそうすることにした。
村の人達からも、たびたびテントよりも小屋で寝た方が快適なのに、と言った言葉を聞いていたことでいつしか僕もそう勘違いしていた。
テントは地面が斜めっているし、暑いし、快適ではなかったのもある。
しかし小屋の不快さはテントの比ではなかった。
カ。
蚊がいるのだ。
ぷ~んと耳元であの音を定期的に聞かされるだけで、眠れなくなる。
ストレスが溜まると体が痒くなる。
顔を刺されてでこぼこにされ、しかも痒いのは刺されたところだけではない。
また、小屋の中でも寝袋は暑い。
しかし寝袋を脱ぐと蚊に攻撃箇所をさらすようなものだ。
実際には蚊に刺された痒みなんて大したことないのだが、蚊が顔や体に止まったと気づくと払わずにはいられないし、そのせいで寝られない。
結局、寝袋とマット、貴重品だけ持って深夜にテントに避難した。
テントでようやく寝付いたのに、次に起きたのは夜中の1時44分。
夜目を閉じたら次に目を覚ますのは翌朝、が常である僕にはまずないことである。
その後も深く眠れないまま朝を迎えた。
早朝四時過ぎ。まだ薄暗い。
小屋に戻って、そこにある昨晩のシチューを温める。
ヘッドライトでシチューを照らすと、大量のアリが浮いていた。
鍋が熱くなって慌てて逃げているアリもいるが、大概は死んでシチューに浮いている。
このアリは、テントに空いた小さな穴からテントに大量に侵入してきたのと同じ種だ。
食糧に向かって列を作られたら困るので、片っ端から潰して殺したのは記憶に新しい。
さては復讐に来たか。
それともお遍路道で殺生したから罰が当たったのか。
しかし仏様よ、動物は動物を殺すものだ。
大きい動物が小さい動物の命を軽視するのも自然なことだ。
そして小さい動物がそれら大きい動物の隙をつくのも常である。
不必要な殺生はしないように気をつけているし、アリも昆虫も一匹や二匹なら殺さずに外に出してやるが、必要であれば殺す。
それが自然というものではないか。
シチューをそのままにしておいた間抜けな僕の隙をついてやってきた間抜けなアリ共は今やシチューの上で仏となった。
それはそれとして、これは僕の朝食である。
一匹一匹取り除けるような量ではない。
たっぷりかけた胡椒のようにシチューの上にかかっている。
一体どうしてくれるのか。
それともアリ共よ、身を捧げて僕に復讐する気か。
南無三、か。
その心意気やよし。
だが残念だったな。
この程度で朝食を諦める僕ではない。
大量のアリなど、見ないようにして食えばちょっと嫌なトッピングに過ぎない。
シチューはそのまま食べた。
そのまま食べたが、少し嫌な気持ちになったのは事実だ。
朝食を終え、テントをたたんで荷物をザックに入れていく。
要洗濯の衣服袋がやけに重い。
雨でテントの穴から水が入り、濡らしたのだ。
テントの穴は早急に塞がねばならない。
服を絞ると濁った水がどんどん出てくる。
全部絞ってももちろん重い。
それでもザックに詰めて歩き始める。
苛立たシーソー。
僕のスニーカーには親指がスポッと入るぐらいの穴が空いている。
歩くとそこから海岸の荒い砂がスニーカーに入ってくる。
入ってくるが、出ていかない。
道路で靴を脱いでひっくり返す。
しかしまだ気持ち悪い。
靴下にも穴が空いていて、そこから砂が靴下の中に入ってくるのだ。
入ってくるが出ていかない。
靴下を脱ぐのはさすがに面倒で、そのまま歩き出した。
一歩踏むたびに足裏に砂利の感覚。
ろくでもない朝だ。
あー、今日はろくでもない一日になりそうだ。
お遍路さんに施される
少し歩くと、室戸ジオパークセンターのトイレがある。
そこでトイレ休憩。
一人お遍路さんらしき人がいた。
トイレから出ると話しかけられた。
外に置いていたザックの『歩いて日本一周中』の文字を見たようだ。
上手だが、少し訛りのある日本語からして、外国の方だろう。
少し話したあと、この人が、よかったらどうぞ、とカロリーメイトを二箱くれた。
さらに、少ないけど、と野口英世氏を一枚。
いやいやいや、あなたもお遍路さんでしょうが。
むしろ施される側の人間でしょうが。
しかしくれるというならありがたく使わせていただく。
ありがとうございます。
その人に、痩せていますけど、ちゃんと食べてますか、と聞かれた。
ちゃんとは食べていないかもしれない。
ここ数日は特に。
やつれて見えるのかもしれない。
いや、実際やつれているのか。
お礼を言って歩き出した。
しかし自分も歩いているのに他の人に施しをするなんて、まるで地蔵菩薩のような人だ。
地蔵菩薩は、日本のヒーローの原型だと思う。
しかしその自己犠牲の精神は、およそ常軌を逸している。
人間には無理だ。
愛と勇気だけが友達さ、と言ってしまう自らの顔を分け与える某国民的ヒーロー並みの精神力が必要とされる。
ガキの頃はこの歌詞を馬鹿にして、友達いないの、寂しっ、とか、同僚の方達は違うんですか、なんて言ってふざけていたけれど、彼ほどの使命感を背負った人物には、おそらく本当に友達と認識している相手はなく、愛と勇気だけをそばに感じているのだろう。
そういうものに頼る仏教の側面には、疑問を感じてしまう。
そんな人間はいない。
いないと思って生きるべきだ。
まあ、基本的にはいない。
いないと思っているから、たまにそれに近い人に出会うと、嬉しさだけにはとどまらない、不思議な混乱を味わうことになる。
彼や彼女は、何を思って生きているのだろうか。
室戸岬
しばらく歩くと、脚が痛い。
衰弱した時に、脚の筋肉をエネルギーとして溶かされたのかもしれない。
それか、脚の疲労回復は後回しにされていたか。
単純にまだ本調子ではないか。
いや、食べていないのが問題か。
たんぱく質をとっていない。
今回の風邪の件だけでなく、たんぱく質が足りていない。
一日に炭水化物だけで米3.5合と食パン一斤を消費しているのに、それだけの運動をしているのに、たんぱく質の摂取量は一般人より少ない。
今更だがこれはまずいだろう。
脚が上手く動かないのもこれが原因では?
早急にたんぱく質を摂ろう。
止まって、米に卵を3個割り、出汁醤油をかけて卵かけご飯にする。
一口目であまりの美味さに衝撃を受ける。
やはり卵かけご飯は美味い。
卵は大分前のものだったから、できれば火を通して食べたかったが、今はそんな時間はない。
また、スキムミルクを水に溶かして飲む。
これでたんぱく質が補給できるはずだ。
卵かけご飯を常温で残すのはまずい気がしたので、米を食べ切らなければならない。
2合くらいあったし、まだ朝食べてから時間が経っていないので少々きつかったが全部食べた。
少し休憩して歩き始める。
室戸岬の遊歩道に入った。
自然な状態の磯が広がる。
斑れい岩でできた岩は、硬いために削られず大きく残り、名前がつく。
ここのビシャゴ岩には、絶世の美女が、自分をめぐって男たちが争うのを憂いて身を投げたという伝説があるそうだ。
まあ、まず嘘だろう。
投身自殺するには低いので、即死できない可能性が高い。
そのくせ、地面は硬い磯で、大怪我は必至。
僕ならここは選ばない。
この写真中央に見える穴は、ポットホールと言って、水中で水流と水流に含まれる小石によって穴が空いたものだ。
水中でしか起こらないので、これが陸地で見えていることが、この土地の隆起を示す証拠の一つなんだとか。
実際、他にも土地の隆起を示す特徴は残っていて、過去に地震で土地が隆起したらしい。
弘法大師が行水を行ったとされる、行水の池など、様々な場所が解説付きで紹介されてある。
ちなみに行水の池は藻が繁茂していて、水の色も汚かった。
そもそも海水であり、たとえ当時は水の色が綺麗だったとしても、ベタつくので僕ならここで行水はしない。
よほどの理由がなければ、弘法大師もしなかったと思う。
もう一つ面白いのは、ここの植生である。
緯度的にはそれほど南ではないのだけれど、南から来る暖流、黒潮の影響でこの辺りは冬でも暖かく、亜熱帯性の植物群落が見られる。
また、海岸であるため、塩分に耐性のある植物も見られる。
塩分耐性を持つ植物は、葉が分厚くなっていたり、プチプチと透明の粒に覆われていたり、触ると面白いものが多い。
一番の見所はやはり亜熱帯植物のアコウである。
1つ目は他の植物に隠れてよく見えなかったのだが、2つ目は大きいのがよく見えて、写真もダイナミックに撮れた。
岩に根がしがみつくようにして生えていて、これでガッチリ支えて体高を低く維持することで、海岸の強い風に備えている。
体高を低くするために横に伸びた枝が迫力満点でかっこいい。
岬の先まで来た。
この辺りで意外と多いのが観光客ではなく釣り人であった。
磯釣りの名所なのかもしれない。
力強いファイトを楽しむために、言うほど美味しくない魚を狙って釣り人たちが奮起していた。
下手くそな僕は、こういう釣れないくせに釣れても美味しくない魚を狙うより、簡単に釣れて美味しい魚が良い。
誰もいない磯でオカリナを吹く。
ここが高知のとんがった所だ。
なかなか良いとんがりだった。
海の駅とろむ
困ったのは疲れ具合である。
今日は道の駅まで行くつもりだったけれど、岬から少し歩いて着いた海の駅でばたんきゅー。
これ以上歩けない。
まず、体が完全回復していなかったのは間違いない。
これ以上歩けばまた熱が出るかもしれない。
頑張るか頑張らないかの二択が出てきた時に、頑張るを選択することでこれまで生きてきた。
しかし、その選択は格好良いだけで、実際にその選択が活きるのはごく限られた場面だけであることに最近気づいてきた。
そしてこれまでは、その限られた場面を生きてきたから、それで良かった。
これからは、特に旅の中では、如何に頑張らないかが重要となってくる。
まだ少し休めば歩ける…という想いを押し込み、今日はここまでとすることにした。
休むと決めてしまえば、実はかなり良い場所であることに気づく。
高速バスの待合室が木で作られた良い感じの休憩所で、誰もいないし、コンセントもある。
スマホを充電しながらラジオを聴いた。
ちなみに一気に食べた卵かけご飯は、ほとんど水分とともに下した。
お腹もまだ本調子ではないのに、消費期限に疑問のある生卵を食うな、馬鹿者。
夕食はじゃがいもと人参、油揚げの味噌汁と米だ。
きちんと消化されると良いのだけれど。
明日はとりあえず道の駅までは歩けるんじゃないかと思う。
本当ならもっと進みたいところだが、体の調子が戻るまで無理はできない。
丸一日休みにしてしまうとストレスが溜まるのでちょっとは進む。
歩いた距離:13km