歩いて日本一周ブログ

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わら一本の革命

自然農法

昨日読んだ自然養蜂の本の筆者が、実は自然養蜂の前からやっていたのが自然農法という農業だった。

それは何かといえば、野菜を耕してもいない土に撒いておいて、放っておき、しばらく経ってから見てみると実がなっていると、基本はそんな感じの農法である。

興味をもってそっちの本を読んでみた。

 

最初に興味を持ったのは、自然養蜂の方の筆者が自然農法を始めるきっかけとなった福岡正信という人の本だ。

最初は随分思想強めの人だなぁという印象だったのだが、読んでいくうちに、これはとんでもない人だと思うようになった。

 

この人は、日本で初めて自然農法を提唱した、にとどまらず、世界でも類を見ない画期的な農法を確立している。

この人の書いた『わら一本の革命』という本は二十ヵ国語に翻訳され、世界でもっとも知られている日本の民間人とのことだ。

 

この人の自然農法とは、できるだけ何もしない農法である。

四大原則として、不耕起、無農薬、無肥料、無除草がある。

耕さない、農薬は使わない、肥料も使わない、除草剤撒かない。

手を入れるのも最小限。

そんなので収量が確保できるのかと言うと、それができているのだから不思議だ。

 

米で言うと、日本最大の収量と遜色ない収量を実現している。

なぜこんなことが可能なのか。

この人から言わせれば、元から日本で米を作ればそのぐらいとれるのであり、近代農法で肥料や農薬がないと収量が確保できないのは、余計なことを人間がしているからだ。

余計なことをして収量を下げ、それをどうにかするために農薬や肥料を撒き、それで収量を普通に戻しておいて、増収だと喜んでいるのだ、と。

 

もちろん、その農法を安定させ、収量をそこまで伸ばすのには試行錯誤があったそうだが、その方法で、圧倒的に手間なく、農薬も肥料も除草剤もいらないから金も使わず、それでいて無農薬の美味しい米が十分量とれるのだ。

これは、数々の専門家がこの人の田圃を見に来て、何一つその農法の問題点を見つけられなかったことから確かなようだ。

 

 

自然農法 わら一本の革命

一冊目の本は、自然農法の解説より、この人の哲学についての話が多かった。

その思想は老師に似ており、人間がしていることはすべて無駄なことであり、人にとってもっとも良いことは何もしないことである、というもの。

人間は自然を知ったつもりになっているが、人間に自然について知ることなどできず、局所的な見方で理解したつもりになっているだけだ。

自然を根本的に理解することなどできないのに、安易に自然に手を加えて問題を引き起こし、その問題を解決していい気になっているが、実はそれにより別の問題を引き起こしていることもあり、結局何もしない方が良いのだということ。

まあ、これは僕があまりに適当に要約したものなので、当てにならない。

 

この人の思想はともかく、自然農法には興味を持ったので、二冊目を読んだ。

それが、20カ国語に翻訳されたという『自然農法 わら一本の革命』である。

この本を書いた後、筆者は世界各地に農法を教えに行っている。

 

こちらの方が、この人の思想がマイルドに出ていて、僕はこの人に共感する部分が多く出てきた。

 

この人の究極の目的は国民皆農民である。

これを最初に目にした時は、いやいやいや、それは無理だろう、この人ちょっと思想強いな、と思った。

だが、その考えに至る過程には、大いに共感できる部分がある。

 

生きることは食べることだ。

そしてその食べるものをもっと考えるべきだ、と彼は言う。

農薬が人体に及ぼす悪影響は確実にある。

しかしこれは本来必要のないものだ。

これが必要になったのは、異様に形が良く見た目が良い果物や野菜を求め、本来手に入るはずのない季節に食べようとし、手に入らないものを海外から持ってくるといった不自然な行為のためだ。

 

そんな不自然な贅沢をやめて、ただ、自分のそばで育てられるものを自然農法で作り、食べれば、少ない労力で生きていける。

 

以下は、この本の引用である。

 

一反で、家建てて、野菜作って、米作れば、五、六人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。

玄米や麦めしがいやという人には、日本で最も作り易い裸麦で作った麦めし•パンもよいでしょう。これが最も楽に生き、国土を楽土にする、一番手近な方法だと思います。現在の農政というのは、それとは全く反対なんです。数を減らして、少数の者に作らそう、アメリカ式にしようというのが目標なんです。しかし、これは、能率が上がったというのとは、ちがうんですよ。

 

自分で食べるものを自分で調達できるなら、農業でも狩猟でも採集でも、それが一番だと僕も思う。

それが薬に侵されていないならなお良し。

また、農薬や除草剤、肥料といったもののほとんどは畑から流出して川に流れてしまう。

実際に効力を持つのは撒いた分のごく一部だ。

現在の農業とは、大概が自然破壊なのだ。

自然農法ではこれがないのも良い。

 

自然農法は、福岡正信さんの哲学において人間にとってもっとも良い生き方として生まれている。

そもそも自然農法を始めたのは、この人が自らの考える哲学が正しいかどうかを確かめるためだったという。

だから、国民皆農民という考え方が生まれる。

 

考えてみると、僕も以前から、日本はもっと一次産業に回帰していく方が良いという考えを持っていた。

それは、日本の豊かな自然を日本人の心に取り戻したいという思いからだったが、この僕の考え方とこの人の思想は似ているかもしれない。

 

また、他にも大いに共感できる部分があり、思わず笑ってしまったので引用する。

 

だいたい私は、労働という言葉がきらいなんです。別に、人間は働かなきゃいけないという動物じゃないんだ。働かなきゃいけないということは、動物の中でも人間だけですが、それは、もっともばかばかしいことであると思います。どんな動物も働かなくて食っているのに、人間は働いて食わなきゃいけないように思いこんで働いて、しかも、その働きが大きければ大きいほど、それがすばらしいことだと思っている。ところが、実際は、そうではなくてですね、額に汗をして勤労するなんてことは、一番愚劣なことであって、そんなものはやめてしまって、悠々自適の、余裕のある生活を送ればいい。まあ、熱帯にいるナマケモノのように、ちょっと朝晩出ていって食物があったら、あとは昼寝して暮らしている、こういう動物の方がよっぽどすばらしい精神生活をしてるんじゃないかと思うんですね。

こういうのがむしろ将来の農業の方向であるし、その方向へもっていかなきゃいけない。

 

怠け者こそ素晴らしい理論。

一見馬鹿らしいかもしれないが、僕は本気でこう思っている。

額に汗して働くことは時に重要だが、そればかりが正しいとされ、重視され、そればかりしている。

そうした労働で、何を得るのか。金か。金以外には?

生きるために働くのか。では、何のために生きている?

生きる目的を、自らの人生の意味を、考えたことはあるのか、考えて生きているか。

そうやって毎日休まず勤労して、それで満足しているか。何に? 自らの生き方に。

それで良いのか。それで良いと、思っているのか。

あなたの人生でもっとも大切なこととは?

 

スナフキンはこんなことを言っている。

一番大事なのはいつも、自分が何が好きなのかを知っているということさ

 

結局のところ、福岡正信さんは、物質文明から精神文明への方向転換を主張しているのではないかと思う。

物をはげしく求めて、人は新しく物を手に入れる代わりに精神的な部分を失ってきた。

それを、自給自足に近い生活で自らの生を自らの身の回りで完結させ、自然と共に生きれば、物質的な豊かさを失っても、精神的に豊かになれる。

 

怪しい宗教のように聞こえるかもしれない。

でもこれは一つの真理だと思う。

 

 

福岡正信の自然農法はいずこへ

実のところ、『自然農法 わら一本の革命』はまだ読み終えていない。

けれど、筆者の提唱する自然農法があまりに魅力的だから、思わず僕は、誰もいなくなった廃村にたった一人で移住し、犬と家畜と共に自然農法をして生きていく想像をしてしまったほどだ。

 

ただ疑問なのは、これほど画期的な農法があまり知れ渡っていないことである。

筆者の談によると、農薬や除草剤をすべての農家からなくすことは技術的には可能であり、それこそ、農林省や農協のお偉方が決めて農家にお触れを出せば、すぐにでもそういう方向に持っていける。

しかし、筆者の無農薬、無除草、無肥料、高い農機具も使わない農法が広まれば、一番最初に困るのは農協なのだ。

農協は農薬や肥料、除草剤、農機具の販売や貸出で稼いでいるので、それがなくなるとつぶれる。

だから、良いものだと分かっていても、積極的に広めたりはしないそうだ。

 

ちなみに、筆者は2008年に亡くなっているので、これらの話は既に大分前の話だ。

なら、いくら農協がこの農法を広めることに消極的でも、この農法を実践する人はもっと多くて良いはずだと思う。

それこそ、筆者が言うように日曜日のレジャーとしての自然農法で、家族の食事をまかなえるほどの作物が手に入るなら、これを活用する人は多いはずだ。

 

それがないということは、自然農法には何かしら欠陥があるか、筆者が天才的だったから収量が実現できていただけで、再現不可能であるなど、何かしら問題があるのかもしれない。

いずれにしても、自然農法には、かなり興味を持ったので、旅の途中で探してみたい。

もしもこの国の自然環境を本格的に立て直そうとするなら、農林水産業は深く関わってくる。

そして福岡正信さんの自然農法は、すべてを始めるキーとなるかもしれない。

 

 

歩いた距離:1km