歩いて日本一周ブログ

歩いて日本一周する記録とか雑記

休止のお知らせ

休止

突然だけれど、しばらくの間ブログの更新を止める。

というのも、剣山から無事東に降りるまでの間、もしスマホのバッテリーがなくなると、地図が見られなくなるため、かなり困るからだ。

 

バッテリー節約のため、この期間の日記はノートにでも書き溜めておき、問題なく東に降りられてから、あるいは、バッテリーに余裕があると判明するまでブログは休止とする。

モバイルバッテリーもあるし、地図だけに使えば、途中でバッテリーがなくならずに済むと、楽観的に考えている。

だが、何があるか分からないし、できる限りバッテリーを節約したいため、ブログは止める。

 

 

農家の困窮

その前に、ホストさんがよく口にしている農家の問題だけ記しておく。

ホストさん曰く、これから農家はどんどん辞める人が増えるだろうとのこと。

ホストさん自身も、2年もすれば農家レストランをやめる予定だと言う。

 

理由は、一つには物価の上昇がある。

物価が上がると、サラリーマンなどは給料も上がる傾向にあるが、農家を営む人たちからすれば、もちろん売上は上がらない。

今、レストランで人を雇うための賃金も上がっている。

しかし賃金を上げても売上が上がるわけではない。

 

ちょうどその話をしていた時テレビでは、運送業者の負担軽減のため、慣例的に運送業者がやっていた作業をJAがやることになり、新たに発生した金を、農家が負担せねばならないとやっていた。

インタビューを受けた農家の人は、作っても、稼げているかも分からない。

3代続く農家だが、自分の代で終わるかもしれないと言っている。

ホストさんはそれを見て、今はどこもそうだ。

みんなやめないといけなくなる。

政治家は何をやっているのか、と言っていた。

 

野球の大谷翔平のことを放送する権利のため、NHKドジャースに年間50億以上払っているらしいと言う。

その金は税金から出ている。

とはいえ、僕は野球にあまり興味がなく、大谷翔平の活躍を知ることができなくても何も困らないが、もし金を理由に放送をやめれば、その方が国中から大バッシングを受けるだろうことぐらいは想像できる。

だが、日本の農家が苦境に立たされている中、その話を聞くと、思うことはある。

大谷翔平の放送は国民の希望だろうから、やめろと言うわけではないのだが。

 

ホストさんは、苦しい現状をどうにかしようと、当選するわけはないと分かっていながら、市長選に出たこともあるという。

出るだけで百万円もかかる。

どうにかしなければという思いは、それほどに強い。

 

私たちはこんなに考えている。

でも若い人にもっと考えてほしい。

あなたのように頭が良い人に考えてほしい。

国を良くしてほしいと言われる。

 

こういったことは、大学在学中にも言われた。

僕は京都大学の出身だ。

分野は大きく分ければ森林。

すると、地球温暖化であるとか、食べ物に困って街に降りてきてしまう熊であるとか、そんな相談をアパートの大家さんなどからされる。

 

どうすればいいのか分からないけれど、どうにかしないといけないと思っている人は多くいる。

そしてそれをどうにかしてくれるのは知識層だと彼らは思っている。

国公立大学の費用は税金から出ている部分が多い。

そのため、国公立大学の学生の費用は国民が払っているとも言える。

だから、そのお金でつけた知識で、国や世界の問題を解決してほしいと、みんな思っている。

 

一方で大学生の方に、税金で学んでいるのだから、みんなの役に立たなければ、国をもっと良くしなければ、という意識は、申し訳ないがない。

僕は言われるまで、そんなこと意識したこともなかった。

大学の外の人たちから、そんな期待をされていると考えたこともなかった。

 

僕らの国公立大学の認識とは、学費が安くいける良い大学というものだ。

税金で安くなっているから国民のために、と意識することはない。

こんなことを言うと反感を買うだろうからこちらの事情も話しておくと。

僕らは大学に入るために多大な努力をしているので、入った時点であとはどうしようと自由という意識がある。

それこそ京都大学など、凡人の僕などが入るには、人生に3年しかない高校時代の青春を鉛筆で灰色に染める覚悟が必要となる。

受験期など、食事とトイレと睡眠以外全て勉強というのは当たり前として、食事とトイレと睡眠の時間さえ、勉強に利用しているという変態的な努力をしていたりする。

 

しかし、大学に入って学問を学んだ僕らに、一般にはない知識があるのは事実であり、それを使ってできることはたくさんある。

知識がなければ考えられないことも考えることができる。

僕は研究からは遠ざかった人間だけれど、それでも知識や学んだことは生きているし、むしろ、この旅とそこで思い考えることは、大学で学んだことを基盤にしていると言える。

 

何が言いたいかと言えば、僕が様々な人から得た知識や学んだことを、できる限り生かそうということだ。

国のためになるかは分からない。

人が僕に望むようなことができるかは分からないが、自分にできることを考えるということ。

それをここに書き、やがては本にすることにも意味があるだろう。

そして、どうすればいいか分からないけれど困っている人、僕ら大学で学んだ人間に期待している人がいることは、心に留めておこう。

その人たちのために何ができるかを常に考え続けるほどの意識はないけれど、心には留めておこうと思う。

 

 

もう出発するので急ぎ足だったけれど、この辺で。

次回は早くても剣山を越えたあと、遅ければ町まで降りたあとになる。